源実朝ゆかりの地

●寿福寺

寿福寺 写真=フォトライブラリー

 鎌倉市扇ケ谷に建つ臨済宗建長寺派の寺。寺の一帯には頼朝の父・源義朝の邸宅があったと伝わる。

 鎌倉五山の第三位である。鎌倉五山とは鎌倉市の臨済宗の五大寺の総称だ。「第一位 建長寺」、「第二位 円覚寺」、「第三位 寿福寺」、「第四位 浄智寺」、「第五位 浄妙寺」と制定されている。

 正治2年(1200)に、北条政子が亡き夫・源頼朝や子どもたちの供養のため、日本臨済宗の開祖といわれる明庵栄西を開山に、伽藍を創建した。

 境内裏手の墓地には、源実朝、北条政子の墓と伝わる五輪塔が、静かに佇んでいる。

 

●円覚寺 

円覚寺 写真=フォトライブラリー

 鎌倉五山の第二位の、臨済宗円覚寺派大本山。JR横須賀線「北鎌倉駅」の駅前に建つ。夏目漱石の『門』の舞台でもある。

 蒙古襲来に立ち向かったことで知られる八代執権・北条時宗が、弘安5年(1282)、中国・宋より招いた無学祖元禅師を開山として創建した。

 時宗が建立を発願したのは、文永・弘安の二度にわたる蒙古襲来における両軍の戦没者を、敵味方も関係なく弔うためであった。

 境内の舎利殿には、源実朝が宋の能仁寺から請い受けた「佛牙舎利(釈迦様の歯)」が祀られている。

 

●源実朝公御首塚

源実朝公御首塚 写真=フォトライブラリー

 三浦氏の家臣・武常晴が、源実朝の御首を葬ったとされる首塚。神奈川県秦野市東田原にある。

 公暁は実朝の暗殺後、実朝の首をもって鶴岡八幡宮から立ち去った。武常晴は山本耕史演じる三浦義村の命を受け、公暁の追討に向ったが、そのとき偶然に実朝の御首を得た。

 その後、理由はわからないが、武常晴は三浦氏と不仲な秦野の波多野氏を頼って、実朝の首を埋葬したと伝わる。

 波多野氏は供養のために、金剛寺を御首塚の近くに建立したという。