後鳥羽上皇の従妹を御台所に

 父・頼朝の跡をついで兄の頼家が二代鎌倉殿になると、御家人たちの血で血を洗う権力抗争が始まった。

 中村獅童が演じた梶原景時が討たれ、叔父で乳母夫の阿野全成も謀反の嫌疑をかけられ、市原隼人演じる八田知家に誅殺されている。

 建仁3年(1203)9月2日には比企氏が滅び(比企氏の乱)、兄の二代将軍・源頼家は修禅寺に幽閉。代って実朝が擁立された。実朝12歳のときのことである。

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 幕府からの要請を受けた朝廷は、実朝を9月7日付けで従五位下・征夷大将軍に任じ、鎌倉殿の継承も認めた。尾上松也演じる後鳥羽上皇は、みずから「実朝」の実名を授けたという。後鳥羽は、実朝の名付け親となったのだ。

 幼い実朝に代って、祖父の北条時政が実権を握った。

 翌元久元年(1204)、実朝は御台所(正室)を京都から迎えている。

『吾妻鏡』同年8月4日条によれば、御台所の候補には、はじめ源氏一族の足利義兼(母親が北条時政の娘)の娘が挙っていた。ところが、実朝はこれを拒絶したため、京都に申し入れたという。

 御台所となったのは、後鳥羽上皇の院近臣である坊門信清の娘・信子である(ドラマでは加藤小夏演じる千世)。

 坊門信清は後鳥羽上皇の母・七条院殖子の弟、つまり、後鳥羽の母方の叔父である。ゆえに、信子(千世)は後鳥羽の従妹にあたる。

 信子は同年12月19日に、鎌倉に到着した。実朝13歳、信子は一つ年下の12歳であった。

 実朝と信子は子宝にこそ恵まれなかったが、夫婦仲は睦まじかったといわれる。

 名付け親であることに加え、信子との婚姻により、実朝は後鳥羽と強い絆で結ばれたことになる。

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和田義盛の亡霊に悩まされる

 翌元久2年(1205)6月には、祖父の北条時政に、謀反の嫌疑をかけられた中川大志が演じた畠山重忠が滅亡し(畠山重忠の乱)、その時政も同年閨7月に失脚し、伊豆に隠遁の身となった(牧氏の変)。

 次から次へと巻き起こる権力抗争のなかで、実朝に最も衝撃をあたえたのは、叔父の北条義時と侍所別当の和田義盛が激突した「和田合戦」であろう。この戦いにより、義盛ら和田一族は滅亡した。

 ドラマでも描かれているように、実朝と義盛の関係は良好であった。実朝は父・頼朝と同年生まれの義盛に、父親の面影を重ねていたのかもしれない。

 そんな義盛を守れなかった自責の念からか、実朝は和田義盛ら合戦の死者が群集する夢に悩まされ、すぐに仏事を行っている(建保3年(1215)11月25日条)。

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