文=鷹橋 忍

城南宮の松の木 写真=アフロ

三種の神器なき即位

 大河ドラマ『鎌倉殿の13人』も、クライマックスの承久の乱に向けて、乱のもう一人の主役である、尾上松也演じる後鳥羽院(後鳥羽上皇)の出番も増えてきた。

 治天の君(朝廷の政務の実質的な指導者の総称)として君臨し、最大の敵として北条義時の前に立ちはだかることになる後鳥羽とは、どのような人物なのだろうか。

 後鳥羽は、治承4年(1180)7月14日に、高倉天皇の第四皇子として誕生した。源頼朝の挙兵の約1ヶ月前である。

 母親は、坊門信隆の娘(七条院殖子)。西田敏行が演じた「日本一の大天狗」後白河法皇は、祖父にあたる。後鳥羽が践祚(皇位の継承)したのは、寿永2年(1183)、4歳のときのことである。

 同年7月、青木崇高が演じた木曾義仲の軍勢が入京しようとすると、平家は後鳥羽の異母弟の安徳天皇を伴い、西国へ下った。有名な「平家の都落ち」である。その際に、「三種の神器」を持ち去っている。

 三種の神器とは、神鏡「八咫鏡」、神璽「八尺瓊勾玉」、宝剣「天叢雲剣(草薙剣)」の三種の宝物を指す。皇位の象徴であり、天皇が執り行う朝儀にも必須であるという、まさに神器であった。

 当時の治天の君であった後白河が、天皇不在という異常事態を避けるため、践祚(即位)させたのが、後鳥羽である。三種の神器の継承がない異例の即位であった。

 三種の神器のうち神鏡と神璽は戻ったが、宝剣は元暦2年(1885 8月に文治に改元)に、平家が壇ノ浦で滅亡した際に、幼い安徳とともに海に沈んだ。繰り返し海中の捜索が行われたにもかかわらず、宝剣が見つかることはなかった。

 後鳥羽は天皇としての正統性を保証する宝剣を、永遠に失ったのだ。これは後鳥羽の生涯の負い目となる。

 19歳となった建久9年(1198)1月には、4歳の為仁親王(土御門天皇)に譲位し、上皇となった。以後、治天の君として、順徳天皇、仲恭天皇の三代にわたり、院政(上皇が政務を行う形態の政治)をしいた。

 上皇となった後鳥羽は、文武にわたるそのすぐれた才能を開花させていく。