後鳥羽上皇ゆかりの地
●城南宮
城南宮とは「平安城の南に鎮まるお宮」を意味する。
延暦13年(794)の平安遷都において、都の守護および、国の安泰を祈って、創建されたと伝わる。
平安時代後期には白河上皇や鳥羽上皇によって、城南宮を囲むかのような形で、後述する鳥羽離宮が造られた。
城南宮は院政の拠点となり、離宮の鎮守社として、よりいっそう崇め敬われた。
後鳥羽はこの城南宮に、「城南の流鏑馬の武者揃え」を名目に武士たちを集め、承久の乱が勃発した。
●鳥羽離宮跡公園(史跡 鳥羽殿跡)
京都市伏見区にある史跡公園。
平安時代後期、白河上皇が院政を開始すると、広大な「鳥羽離宮」が、現在の名神京都南インターチェンジの南側一帯)に造られた。鳥羽殿とも呼ばれる。
造営は白河上皇の孫・鳥羽上皇に引継がれ、南殿・北殿・馬場殿・泉殿などの御所と、証金剛院・勝光明院などの寺院が建設された。
現在、鳥羽離宮公園として整備されているのは、南殿跡である。
14世紀頃まで院御所としての役割を担い、後鳥羽の邸宅もこの地にあった。
●後鳥羽天皇御火葬塚
島根県隠岐郡海土町にある、後鳥羽の遺骨が納められた塚。
承久の乱での敗北により隠岐島へ流された後鳥羽が崩御すると、遺体は荼毘に付された。
のちに、火葬が行われた場所に御火葬塚がつくられている。後鳥羽の遺骨の大部分は、御火葬塚に納められた。
明治6年(1873)、大阪の水無瀬神宮に合祀されたため、隠岐島の祠殿は、翌明治7年(1874)に取り壊された。その後は宮内庁により、後鳥羽天皇御火葬塚として、管理されている。
御火葬塚の隣接地には、後鳥羽を祭神とする隠岐神社が鎮座する。