文化の巨人

 後鳥羽は多芸多才な帝王で、「文化の巨人」とも称された。

 文化面では特に和歌に秀でており、当代一流の歌人であった。勅撰和歌集『新古今和歌集』の編纂でも知られている。

 音楽の才にも恵まれており、琵琶の最秘曲『啄木』を伝授されている。

 身体能力も極めて高かった。

 ドラマにもたびたび登場する「蹴鞠」では人並み外れた才能を発揮し、「長者」の称号を奉呈されている。

 水練、流鏑馬、笠懸、相撲などのど武芸も好み、自ら刀を鍛錬した。

 京都国立博物館に所蔵されている「菊御作」(国指定の重要文化財)は、後鳥羽の手による刀剣で、刀身には菊花文が刻まれている。ドラマの時代考証を務める坂井孝一氏は、神器の宝剣が失われたことを、わずかでも補おうとしたと考えられると述べている(『承久の乱』)。

 また、自ら盗賊の追捕に加わったという、勇ましい逸話も残っている。

 北条義時は、この万能の天才・後鳥羽と、承久の乱を戦うことになる。

 

承久の乱

 後鳥羽は、柿澤勇人演じる三代将軍・源実朝とは良好な関係を築いていた。

 実朝の正室・坊門信清の娘の信子(ドラマでは加藤小夏演じる千世)は後鳥羽の従兄妹であり、信子の姉妹の西御方(坊門局)は後鳥羽の後宮に入っている。つまり、後鳥羽と実朝は、義兄弟(妻同士が姉妹)ということになる(鈴木由美『中先代の乱』)。

 実朝が存命の間は、朝廷と鎌倉幕府の関係も、大きな問題はなかったといえよう。

 しかし、実朝の暗殺を契機として、朝廷と鎌倉幕府の緊張は急激に高まっていく。

 承久3年(1221)5月、後鳥羽は、後述する城南宮での流鏑馬揃を口実に幾内・西国の武士を召集し、北条義時の追討を命じた。承久の乱の勃発である。数々の抗争をくぐり抜けてきた義時にとっても、人生最大の戦いだった。

 戦いは、坂口健太郎演じる北条泰時や、瀬戸康史演じるトキューサこと北条時房らが率いる幕府軍が大軍となって京へと攻め上り、後鳥羽方を破って、勝利を収めた。日本史上、空前の出来事である。

 敗れた後鳥羽は、隠岐に配流となった。

 後鳥羽は和歌を慰めに、京へ帰れる日を待った。

 しかし、京に返り咲くことのないまま、延応元年(1239)2月、60歳で、その激動の人生に幕を降ろしした。

 隠岐の島民は、後鳥羽を「ごとばんさん」と呼んで慕ったという。

 現在も受け継がれる「隠岐の牛突」は、島の人々が後鳥羽を喜ばすために始めたのが、起源だともいわれる。

 島の人々の温かい思いは、きっと後鳥羽の心を慰めたに違いない。