永谷園の社屋(2019年当時)

●永谷園の強さの理由に迫るシリーズ第1回はこちら

 前回、「お茶づけ海苔」に見られる「変えない・変わらない」姿勢、カテゴリーの枠にとらわれないチャレンジと、その繰り返しによる「変わり続ける」姿勢。その両面を兼ね備えているからこそ、永谷園は日本の食品メーカーの中でも個性的かつ独自の強さを持っていると述べた。連載2回目となる今回は、支柱の1つとして、永谷園の強さを生み出している「変えない・変わらない」姿勢にスポットを当てたいと思う。

本業の傍らで開発された「海苔茶」が起点になる

 まず、「変えない・変わらない」という永谷園の姿勢を表現する上で欠かせない商品がある。そう、「お茶づけ海苔」だ。そして、「お茶づけ海苔」を語る上で、避けて通れないのが永谷園の創業にまつわる歴史だったりもする。今回は「お茶づけ海苔」の誕生と、永谷園という企業の歴史をひも解きつつ、話を進めていく。

 では、本題に入ろう。永谷園が「お茶づけ海苔」を発売したのは、今から70年前の1952年のこと。一方、永谷園が企業(※当時の社名は永谷園本舗)として創業したのは69年前の1953年になる。皆さんは気付かれただろうか? 通常であれば、創業した後、商品が売れ、事業を拡大という流れが一般的なように思うが、面白いことに、永谷園の場合、商品が売れ、企業として創業と、その順序が逆転しているのだ。つまり、「お茶づけ海苔」がヒットしたことを機に、当時、東京・芝愛宕町で茶舗(※当時の店名は茶舗 永谷園)を営んでいた永谷園は企業としての創業を迎えることになる。

戦前(昭和初期)、茶業を生業にしていた頃の店舗
拡大画像表示

 永谷園の創業者で名誉会長でもある故・永谷嘉男氏(以下、嘉男氏)。嘉男氏の父に当たる故・永谷武蔵氏(以下、武蔵氏)の時代、茶業を生業にしていた永谷園に飛躍のきっかけは訪れる。

 アイデアマンだった元会長の武蔵氏は本業である茶業の傍ら、新商品の開発にも力を注ぎ、昆布茶、粉末シロップ、ふりかけ、アイスグリーンティなどを商品化。その中に「お茶づけ海苔」の前身となる商品・「海苔茶」があった。

 この「海苔茶」は「お茶づけ海苔」の前身とは言うものの、やや趣が異なる。刻み海苔、抹茶、食塩などを原料とし、お湯をかけ、お吸いもののように飲むものだったという。この時点では「お茶づけ海苔」の三種神器ともいえるあられは入っていない。しかも、調味料の粉末と海苔を一緒に詰めると、海苔と調味粉末が分離してしまうことから、海苔と調味粉末は別々の缶に入れられ、セットで販売されていたと聞く。

 このように書いてしまうと「お茶づけ海苔」と比べ、「海苔茶」は近いようで、遠い存在のように感じるかもしれない。しかし、当時、開発された新商品の中で「海苔茶」が売れたこと。それこそが、「お茶づけ海苔」の誕生へと大きく結び付くことになる。

「お茶づけ海苔」を誕生させた2人。左が永谷園の創業者で名誉会長の故・永谷嘉男氏。右は嘉男氏の父で、元会長の故・永谷武蔵氏