温暖化をはじめ、深刻さを増す地球の危機。その課題に対し、科学やアート、音楽といった領域は何ができるのだろうか。また、世界全体で危機に対抗するには、これらのステークホルダーが協調することが不可欠となる。

 そんなテーマをもとに先日開催されたイベントが、HEART CATCH主催、IBM Future Design Lab共催の「地球人としての「協調のヒント」〜西村真里子のオニワラ!『鬼と笑おう』〜未来をつくる座談会 #4 powered by IBM Future Design Lab(以下、オニワラ)」だ。

 本イベントにおいて、科学分野の代表として登壇したのが、日本アイ・ビー・エム(以下、日本IBM)の理事であり、東京基礎研究所所長の福田剛志氏。同氏は、地球課題の解決に向けて、今後期待されるイノベーションとして「CO2を回収・有効利用できる新素材の発見」を挙げた。そして、その実現のために、科学者の物質発見プロセスをDXする必要があるという。

 一体どういう意味なのだろうか。さらに、福田氏がオニワラ内で言及した、さまざまなステークホルダーが協調するためのヒントもあわせて聞いていく。

5年以内に期待される「ゴミを価値にする」新素材とは

――先日のオニワラでは、今後5年間に期待できるイノベーションについてお話いただきました。その中で「CO2を回収・有効利用できる新素材の発見」に触れていました。これについて、詳しく教えてください。

福田剛志氏(以下、敬称略):IBMでは毎年、今後5年以内に期待できる5つのイノベーションを「5in5」として発表しており、実際に具現化されているものも出ています。たとえば2018年の5in5では「海の汚染をAI搭載のロボット顕微鏡で監視する」といったイノベーションが予測されました。この予測は、実現に向けて動き始めています。IBMは海洋研究組織プロマリを中心に進められている完全自動航行船「メイフラワー号」プロジェクトに参加し、自動航行のためのAIやセンサーとしてHyperetasteという人工の舌の技術を提供。無人で航行しながら水質やプランクトン、海洋哺乳類の生態をデータ採取していきます。2021年6月に、初の航海を開始しました。

完全自動航行船メイフラワー号

 質問いただいたCO2に関するイノベーションは、2020年の5in5で発表された「気候変動を緩和するために、CO2を回収し、有用なものに変える」という内容です。CO2を回収する技術はすでに開発が進んでいますが、コスト・効率面でまだ実用性が高いと言えません。しかし、5年以内にはこの課題を突破する新素材の発見やシステム構築が進む可能性があると考えています。

――CO2を回収できれば、当然、待機中のCO2濃度を下げることにもつながりますよね。

福田:それだけでなく、CO2はポリマーやプラスチックの原料にもなります。吸着技術が確立されれば、CO2を収集して原料にすることもできる。地球にとっての悪材料が原料になるのです。

 これらを実現するには、CO2を吸収する新素材の発見が求められます。ただし、素材の発見には通常10年以上かかります。温暖化の課題は喫緊であり、発見プロセスを早めなければなりません。そこで有効なのが、科学者の発見プロセスのDXです。

AIが文献を読み、科学者にヒントを提示する

――科学者の発見プロセスのDXとは、どういうことなのでしょうか。

福田:科学者の作業サイクルは、大きく問題提起→調査→仮説→検証→評価→報告→問題提起となります。そのほとんどのステップを人間が行っていましたが、このサイクルをAIや高性能コンピュータを活用してスピードを速めるのがDXです。

 では、具体的に何を行うのか。新素材の発見プロセスを例に説明しましょう。まず、新素材を考える上での「調査」として、科学者は文献に当たります。しかし、世界中の膨大な文献を人間が読むのは限界がある。そこで、科学者が知りたい項目や思考、科学者の保有する知識に合わせて、AIが文献や論文の内容を理解、整理、関連付けます。AIによる自然言語理解の技術は進んでおり、IBMの「Watson Discovery」は、ビジネス・データから答えや洞察を引き出すために多くのお客様で使われているのです。

 さらに、文献に登場する科学物質の構造式や図表をAIが読み取り、共通の性質を持つ別物質の文献を引っ張ってくることも考えられます。AIが提示する知識の断片を、科学者が立体的につなげる流れができるでしょう。

――そのほかには、どんなDXが考えられるのでしょうか。

福田:文献にないデータは、高性能コンピュータを用いて、パラメータを変えながら何回もシミュレーションを行い、データを補完する必要があります。しかし、シミュレーションには時間がかかるので、全てを試すことはできません。そこで、AIが最も有望なパラメータを選んでシミュレーションを実施。シミュレーションには多くの方法の組み合わせがあり得ますが、AIが最適な方法を選択します。その結果10〜100倍シミュレーションを高速化することができます。

 さらに「仮説」においては、目的の性質を持つ新物質の候補を、コンピュータが考案します。既存の物質の化学式と物質の性質の関係をAIに学習させ、新物質の候補を生成。これらは、スマホのアプリなどにある、実在しない人物の顔写真を生成する技術に似ています。実際の顔写真を参考に、まだ存在しない新しいものを作る。その化学式版というとわかりやすいでしょうか。

 最後に、実験により仮説を「検証」する必要があります。このプロセスでもRoboRXNという自動実験ロボットが出ており、実験を自動で高速に行います。こういったDXにより、新物質の発見プロセスを加速させていくのです。

企業のエコ活動を後押しするのが、「芸術・文化」の役割

――一方で、先日のオニワラでは、地球課題の解決には、他領域のステークホルダーとの協調も大切だとお話しされていました。そして、そのために経済や社会のルール変革をポイントに挙げられていましたが、こちらについても詳しく伺えますでしょうか。

福田:企業は、基本的に経済合理性にもとづいて行動しています。さまざまなステークホルダーが手をとるには、異業種企業の経済合理性が一致する必要があるでしょう。CO2を例にとると、石油燃料から脱却しようと旗を振っても、現状はまだ石油燃料が低コストといえます。すると、低コストを優先する企業が出てくる。そこに経済合理性があるからです。

日本アイ・ビー・エム株式会社 理事 東京基礎研究所所長 福田 剛志氏

 つまり、協調を実現するには経済合理性そのものをルールチェンジしなければいけません。先ほど話したCO2を原料にするのはわかりやすい例です。吸着して空気中のCO2を減らすだけでなく、それをポリマーの原料として取引できれば、たちまちCO2がゴミから価値に変わります。経済合理性が生まれ、多くのステークホルダーはCO2を回収しようとするでしょう。

 今後は、企業が収集したCO2を管理・取引する世界がやってくるでしょう。そのためには、CO2の流通を可視化することが重要。IBMも、三菱重工とともにCO2流通を可視化するデジタルプラットフォーム「CO2NNEXTM」に向けて協力を始めています。

――CO2NNEXTMとはどんなものでしょうか

福田:CO2を誰がどこで回収したか、そしてそれがどんな経路をたどり誰に渡ったか、これまで回収後の総量、移送量、購買量、貯留量などといった別々のフェーズでしか見ていなかったCO2流通全体を、つないで可視化するデジタル・プラットフォームです。IBMのブロックチェーン技術を活用し、CO2の追跡ができれば、バリューチェーンにおける現状の課題を解決し、CO2需要を増やすことができます。。さまざまなステークホルダーがCO2収集という同じ目的に向かいやすくなるのです。

――最後に、企業間だけでなく、アートや音楽といった芸術・文化のステークホルダーと協調することも、地球課題の解決には重要だとオニワラで触れていました。その意味も教えてください。

福田:企業は経済合理性にもとづいて動くため、市場がなければ活動しにくいと言えるでしょう。仮に環境負荷の低い製品を作っても、消費者が受け入れなければ市場は生まれず、企業は力を入れにくい。特に新しいことはコストがかかります。

 ただ、消費者となる個人は経済合理性だけで動きません。たとえコストが高くても、環境にやさしい製品を使うべきだと思えば、お金を払います。そこで大切なのが、芸術です。芸術によって環境意識や地球課題の重要性が個人に伝われば、多くの人が環境に良い製品を好むでしょう。すると、そこに市場ができて経済合理性が生まれます。企業は投資できるようになるのです。

 また、オニワラに出席されたヤマハ執行役員の大村寛子さんは、ヤマハが世界中で行っている音楽教育を紹介されていました。人間の価値観を養う上で、幼少期の教育は重要です。教育を通して環境への意識を伝えれば、その子らが成長した後の行動も変わるでしょう。つまり、芸術や教育が環境活動の起点になり、それが経済合理性を生んで企業活動につながるのです。

「地球人としての「協調のヒント」〜西村真里子のオニワラ!『鬼と笑おう』〜未来をつくる座談会 #4 powered by IBM Future Design Lab」

――企業だけでなく、芸術や教育も含めたステークホルダーが協調する必要性がよくわかりました。

福田:以前は、企業が自社技術を抱え込むケースが一般でしたが、近年はオープンソースをはじめ、技術や設計をシェアする形が増えています。IBMもその考えを実践しています。仮に同業他社でも、両社の競争部分と非競争部分を切り分けて、非競争部分では協調することが重要でしょう。

 また、協調の際に、つい「国産」「純日本製」といった国の括りにこだわってしまうこともあります。しかし、地球全体の課題に取り組む今、個人的に国の括りは取り払った方が良いでしょう。もはや一国ですべて解決できる時代ではない。国や領域の壁を払い、あらゆる人たちと知見を交換することが、地球課題の解決に重要なのではないでしょうか。