わが国の企業にとって、イノベーションは目下の最重要課題であるのは言うまでもない。だが大企業の場合、その大きさ故に、いわゆるベンチャーやスタートアップとは異なる方法論が求められる。日本航空株式会社では、ICT企業など「他社ラボとの連携によるイノベーションの促進」を掲げ、相互の連携の仕組みである「ラボ・アライアンス」を構築。日本IBMをはじめとする各パートナー企業との協創活動を進めてきた。その具体的な内容や活動、今後の期待について取材した。
国際競争力を生むイノベーションに向け
他社との「ラボ・アライアンス」を構築
日本航空株式会社(以下、JAL)のイノベーションの基本は、同グループの中期経営計画「ローリングプラン2019」と、そこに含まれる長期目標である「JAL Vision」だ。ここでは商品サービスの充実や事業領域の拡大といったテーマと並んで、「人財×テクノロジー」によるイノベーションが重点施策の一つに挙げられている。
同社が「ヒトと技術」によるイノベーションを重視する背景には、市場の大きな変化がある。世界中に航空路線を持つJALだが、今のところ利用者の比率は圧倒的に日本人が多いと斎藤氏は明かす。
「同じ路線なら、外国人のお客さまはどうしても自国の航空会社を選ぶ傾向があります。その一方で、日本の国内需要は今後減少していくことが確実です。この先、外国人のお客さまに当社を選んでいただくためには、改めて『世界のJAL』に生まれ変わる必要がある。それにはアイディアと最新のテクノロジーによる、革新的なサービスの創出が不可欠だと私たちは考えています」(斎藤氏)
これまで航空会社というのは、その業務の性質上、新型機の導入やシート、機内食や空港ラウンジのメニューくらいしか差別化をアピールできるポイントがなかった。今後はそうした「モノの価値」だけでなく、「例えばJALを利用することで旅そのものに新たな発見や喜びを感じてもらえるような、まさにイノベーティブな価値創造を追求していかなくてはならない」と斎藤氏は強調する。
そこでキーワードとなるのが、「デジタライゼーション」だ。JAL Visionでは「他社ラボとの連携によるイノベーションの促進」を掲げており、その実現のために、同社とデジタル関連企業とが連携する仕組み「ラボ・アライアンス」が構築された。すでにICT関連10社をはじめとした各社との協創で、さまざまな技術革新に向けたプロジェクトが推進されている。日本IBMとのコラボレーションは、その象徴的な取り組みの一つだ。
大連のIBM技術チームとの出会いで
共創のためのチームづくりを決意
JALと日本IBMによるラボ・アライアンスのきっかけは、斎藤氏と佐藤氏の「なんとなく始まった」会話だった。2016年にデジタルイノベーション推進部が発足して、新しい取り組みの協力相手を探していた斎藤氏が、以前から他の案件を通じてつき合いのあった佐藤氏に声を掛け、あれこれ話すうちに協業の方向に進んでいったという。
「私たちのようなユーザー企業がイノベーションに取り組む際、必ずしも必要な技術人材を内部に抱えているとは限りません。いざアイディアを出して検証するにも、そのつど外部に頼まなくてはならない。ちょっとしたアイディアが浮かんだらすぐに試してみるという、イノベーションに不可欠なスピード感を実現できるチームをつくる必要がありました」。
その構想を聞いた佐藤氏は、すぐに中国IBM大連の技術チームを紹介しながら、短期で小さなアイデアからアプリ開発を実施。斎藤氏だけでなくイノベーション担当の役員も現地に赴いて話し合った結果、正式なラボ・アライアンスとしてのスタートが決定した。現在この大連の技術チームの一部が、東京・天王洲アイルの「JALイノベーションラボ」に常駐し、JALや日本IBM、大連にいる他のメンバーと共に技術検証や開発に携わっている。
このJALイノベーションラボは東京・天王洲アイルのJAL本社近くにあって、JALとパートナー企業とのコミュニケーションの拠点となっている。JAL本体と物理的にも組織的にもほどよい距離を保った「イノベーションのための出島」として、開設以来すでに200社を超える企業が訪れた。佐藤氏はその1人として、「オープンなスペースなので他の企業の出入りも多く、そうした空気を感じることが私たちにとっても良い刺激になります。そうした自由な空気を感じながらアイディアを練っていくのは非常に楽しく、前向きな気持ちで取り組める。まさにイノベーションにふさわしい空間だといつも感じています」と高く評価する。
大企業のコラボレーションを支える
IBM Garageの豊富な技術リソース
JALと日本IBMのラボ・アライアンスのベースとなっているのは、日本IBMの提供する企業のデジタルトランスフォーメーション(DX)支援のための統合プログラム「IBM Garage」だ。このプログラムは、企業がDXやイノベーションを実現するのに必要な技術やノウハウ、人材、さらには物理的な検証スペースやソフトウエア、ハードウエアまでを包括的に提供・支援している。
わが国の大企業がイノベーションに取り組む際に、ベンチャーやスタートアップとの協業を図る会社は多い。彼らの持つ斬新なアイディアや画期的な技術を取り込むのがねらいだが、両者の企業規模に起因するスピード感のギャップや、企業カルチャーの違いなどが障壁となっているのも事実だ。
「その点でIBM Garageは、IBMならではの最先端技術を始め、ソフト、ハードにわたる製品ラインナップやソリューション。世界各国での実績と提案力などのリソースを、大手企業の求めるスケールに応じて提供できる強みを持っています。今回、大連のメンバーをアサインできたのも、IBMのグローバルにまたがる技術ネットワークがあったからと自負しています」(佐藤氏)
一方、斎藤氏は、大連チームとの協創の決め手となったのは「ホスピタリティーの高さ」だったと明かす。「現地で初めて会った際に、こちらの要望を技術的にかなえるだけでなく、顧客の期待を超えたものを提供しようという意思を強く感じたのです。私たちもサービス業なので、そういう価値観には非常に強い共感を覚えました。加えてスピード感です。中国の技術の進歩は目覚ましく、それがいいと思ったら、行政が規制を変更してでも実現しようとします。特に大連という都市はその気風が強く、このグローバル水準のチームとなら、新しい価値創造に取り組めると感じました」(斎藤氏)。
彼らのホスピタリティーは、時として茶目っ気としても現れてくる。たとえば、現地に行った時、最新型の宅配ロッカーサービスがあり、開発メンバーに促されて斎藤氏がロッカーの扉を開けてみると、サプライズのプレゼントが入っていたとか。
「その時、自分がお客さまの立場だと、こういう嬉しい気持ちになるのだと気付かされました。技術力だけではなく、こういう新鮮な感情や発見の積み重ねが、今までは思いもよらなかった発想、即ちイノベーションにつながるのだと、彼らが実感させてくれました」(斎藤氏)
現場や顧客まで巻き込んだ取り組みが
未来のイノベーションにつながる
JALと日本IBMのラボ・アライアンスは、現在取り組みの真っ最中だ。斎藤氏によれば、「プロジェクト開始からまだ数カ月とあって、成果として公表できるものはこれからですが、その入口となるアイディアはすでにかなりの数が出てきています」とのことだ。
今後の取り組みについて斎藤氏は、「地に足の着いたイノベーション」をモットーに取り組んでいきたいと語る。世間一般ではイノベーションというと、とかく「これまで存在しなかった斬新な技術やサービス」を連想しがちだ。だが斎藤氏は、「ゼロから立ち上げる新ビジネスならばそれも良いが、当社のように現業部門が大きな割合を占める企業では、いかに泥臭く、ユーザー部門やお客さまも巻き込んで新しいものを作っていけるかがポイント」と考え、現業部門の小規模なユーザー向けの業務改善アプリなどを開発・配布する地道な取り組みに大いに注力しているという。
「例えば、空港の国内線搭乗口のスタッフだけが使うアプリなどは、費用対効果が出ないので社内で開発できず、現場は人海戦術やExcel、紙の書類で奮闘してきました。しかし今のチームなら、そういう小さなアプリでもすぐに開発・展開可能です。現場の課題を一つずつ解決して、組織のみんなが新しいことを考える余力を生み出していくのが、未来の大きなDXにつながると信じています」(斎藤氏)
社内で「ラボ会員制度」という制度を立ち上げ、社内の各部署からボランティアとしてラボ・アライアンスに参加してくれる人を募る試みも始まった。現在すでに2期目で、わざわざ地方から有給休暇を取って参加する社員もおり、熱を帯びている。
「こうした社内外、受発注を越えたフラットな関係の中に、日本IBMも参加するチャンスをいただいていると認識しています。今後も現場から生まれたアイディアを目に見えるものにし、業務の現場をより楽しくストレスがない環境にしていく。そのための技術的な部分を全力でサポートしていきたいと願っています」(佐藤氏)
これを受けて「大企業におけるイノベーションは、いかに継続的に自分たちを変えてゆくための方法やストーリーをつくることが大切です。その実現には、日本IBMのようなキャパシティーを持つ企業とのパートナーシップの構築が不可欠であり、私たちだけでなく、日本企業に共通した課題だと考えています」と語る斎藤氏。未来に向けて力強くスタートを切ったJALに熱い注目が集まっている。