普及のために乗り越えなければならない「キャズム」とは

 一方、先述の5区分の間にはそれぞれクラック(断絶)があり、中でも②アーリーアダプターと③アーリーマジョリティとの間には最も大きな溝(キャズム)がある。新しい製品やサービスを広く普及させるには、このキャズムを乗り越える必要がある、と説いたのがキャズム理論だ。1991年にアメリカのマーケティング・コンサルタント、ムーアによって提唱された考え方だ。

 キャズムを挟んだ①イノベーターと②アーリーアダプターで構成される少数派の「初期市場」と、③アーリーマジョリティと④レイトマジョリティで構成され、市場の7割弱を占める「メインストリーム市場」の消費者では価値観が大きく異なるため、マーケティング戦略を立てる際は両者を分けて考える必要があるのだという。

 改めて、5区分の特徴をBtoB視点で詳しく見てみよう。

①イノベーター
 ムーアによる別名は「テクノロジー・マニア」(以下同様)。真っ先に斬新な製品やサービスに飛びつく層。常に新しいテクノロジーや、それに基づく製品を追い求めているグループ。技術そのものの価値を正しく理解できる層でもあり、機能や性能をテストして楽しむためだけにその製品を購入することも少なくない。

②アーリーアダプター
 別名「ビジョナリー」。かなり早い段階で新機軸の製品を導入するが、イノベーターと違い技術志向の人々ではない。自身が抱えている問題を解決できる可能性が高いのであれば、新たな製品やサービスを積極的に導入しようとする。その際、拠り所とするのは自らの直感や先見性であり、他社の導入事例や業界標準には頓着しない。

③アーリーマジョリティ
 別名「実利主義者」。実用性を重んじる点で、アーリーアダプターと一線を画す。最新の製品やサービスと言われるものの多くが一過性の流行で終わることを加味して、他社の動向を注意深くうかがおうとする。先行事例を確認した後でないと、その製品を購入することはない。この層だけでも全体の3割以上を占めるため、製品やサービスの普及・成功には彼らの獲得が必須。

④レイトマジョリティ
 別名「保守派」。新しいテクノロジーに触れることに対してやや抵抗を覚えるという特徴がある。それ以外の特性は、ほぼアーリーマジョリティと共通。だがその違いによって、アーリーマジョリティ以上に業界標準が確立されるまで「待つ」傾向にあり、導入時も手厚いサポートを受けるために実績のある大企業の製品を選びがち。こちらも全購買者数の3分の1以上を占めるため、獲得できれば販売コストの削減やR&Dコストの回収が可能になる。

⑤ラガード
 別名「懐疑派」。メインストリーム市場には含まれない。個人的な嗜好や経済的な問題等、理由はさまざまだが、新たなハイテク製品等が発表されても全く興味を示さない。ムーアによれば、この層の人々が唯一ハイテク製品を購入するのは、その製品が他の製品に組み込まれて目に見えなくなってしまっているようなとき(車の制御システムに組み込まれているマイクロプロセッサ等)であり、敢えてラガードを追い求めても販売にはつながらない。

 こうして並べてみると、①②と③④との間に横たわるキャズムについて、おぼろげながら見えてくるものがあるのでないだろうか。大まかにいえば、①②の人々が「新しさ」や「先進性」に価値を見出すのに対し、③④の層は実利や安心感を求めていることがわかる。スタートダッシュに成功して「16%」を獲得できたとしても、①②と同じアプローチの仕方をしていては、いずれはキャズムの底に落ちて消えていってしまう可能性が高い。

 ムーアはキャズムを越えられずにいる製品の一例として「セグウェイ」を挙げている。重心の移動によって操作する電動立ち乗り二輪車の姿は日本でも広く認知されているが、確かに普及しているとは言い難い。日常あらゆる場所に存在する「階段」に対応できていないことや、有効な活用法が見つかっていないことがその理由とされているが、セグウェイはいまだキャズムを抜け出せていない。

起業にあたってマーケティングの重要性とキャズムを越えるための方策

 マーケティング戦略は当然、起業においても重要となるが、ムーアは「これまで多くの不用意なスタートアップ企業がキャズムの底に消え去っていった」と語る。市場の成長を止めてしまう、危険極まりないキャズムを乗り越え、革新的な製品やサービスを広く普及させていくにはどうしたら良いのだろうか。

 それにはまず、これまで取り扱ってきた①から⑤に分類される顧客属性の違いや、初期市場とメインストリーム市場との違いを正しく認識する必要がある。その上で、今自社がターゲットにすべきはどの層なのかを、常に意識していなければならないだろう。初めはもちろんイノベーターたちに焦点を合わせて市場を創っていかなくてはならないが、初期市場で通用した戦略はメインストリーム市場では通用しないことを踏まえ、先んじて打ち手を考えて実行していく必要がある。

 またムーアは、キャズムを抜け出すための基本戦略は「メインストリーム市場の中にターゲットセグメントを一つ選定し、その攻略に徹すること」であるとまとめている。そのための戦術は、ターゲット・カスタマーを決定して「購入の必然性」を導き出し、提携企業等と協力してホールプロダクトを構築する。次に、競争相手に対して自社をポジショニングすることで戦略を見定め、最後に販売チャネルを整備することだという。それぞれの戦術についてより詳しく知りたい方はぜひ、『キャズム Ver.2 増補改訂版 新商品をブレイクさせる「超」マーケティング理論』をご一読いただきたい。

 キャズムを越えられずに一時的なブームで終わるか、乗り越えて対象市場を独占できるか。革新的な製品やサービスを打ち出す際は、段階によってマーケティング戦略を変える必要があることをお忘れなく。