『ポストモダニズム』と『脱構築主義』
20世紀初頭、建築界の主流は、巨匠ミース・ファン・デル・ローエの”Less is More(少ないことは、豊かなことだ)”という言葉に象徴される、機能的で合理的、そして普遍的で抽象的な『モダニズム』であった。
ミース・ファン・デル・ローエ『レイクショア・アパートメント』ユーザー:JeremyA, CC BY-SA 2.5, via Wikimedia Commons
しかし、その画一的で無機質なスタイルは、やがて「無個性な建築の大量生産」と批判されるようになり、そのアンチテーゼとして1960〜70年代に台頭したのが『ポストモダニズム』である。
『ポストモダニズム』は、『モダニズム』が切り捨てた装飾や象徴性を回復しようとし、古典建築や地域の伝統様式を引用・再解釈する『歴史主義』、建築を「意味を伝えるメディア」であると捉え、看板や大衆文化、都市の視覚言語を積極的に取り込む『記号主義』、その地域の歴史や風土、文化そして街並みといった土地の文脈(コンテクスト)を現代的に再解釈する『コンテクスト主義(地域主義)』など、多様な主張を内包した大きな潮流となった。
例えばロバート・ヴェンチューリらは『モダニズム』を”Less is a Bore(少ないことは、退屈だ)”と皮肉り、歴史的な装飾や遊び心、あえて矛盾を含んだデザインを積極的に取り入れた。それらは当初こそ「悪趣味」「キッチュ」と批判されたが、視覚的な楽しさや地域性を重視するその姿勢は、ショッピングモールやテーマパークといった商業建築だけでなく、住宅から公共施設に至るまで、現代の建築デザインにおけるごく当たり前の選択肢として定着している。
ロバート・ヴェンチューリ『母の家』
その一方、『ポストモダニズム』においては、工業製品のような部材や構造、配管といった設備をあえて露出させ、それらをあたかも装飾のように扱う『構造表現主義(ハイテク)』や、モダニズムの水平・垂直といった安定や調和、秩序すら否定し、建築の形態を解体そして再構築する『脱構築主義(デコンストラクティビズム)』といった、全く異なるアプローチも同時多発的に展開された。
リチャード・ロジャース『ロイズ・オブ・ロンドン』 写真/Green / PIXTA(ピクスタ)
特にこの『脱構築主義』は、フランスの哲学者ジャック・デリダによる「脱構築」
エル・リシツキー《プロウン》1922年 ニューヨーク近代美術館
その過激さは、印象派の光や色の快楽、感覚的な美を拒絶した『表現主義』や、美や感性、技巧すら嘲笑し、「描く」こと自体が無意味という態度を表明した『ダダイズム』、あるいは、『パンク』の枠組みさえも解体し、「歌」「曲」「演奏」という概念そのものを否定した『ノイズ・ミュージック』や『グラインドコア』などのラディカリズムとも通底しているように思える。
マルセル・デュシャン『泉』
『ポストモダニズム』という広大な表現の海において、最も過激なアンチテーゼとして結晶化した『脱構築主義』。
この代表的な建築家であるフランク・ゲーリーやピーター・アイゼンマン、ダニエル・リベスキンド、ザハ・ハディドらが提示した複雑かつ断片的なデザインは、1980年代後半に登場して以降、従来の建築概念を根底から揺るがすアヴァンギャルドな挑戦として高く評価されてきた。
しかしその一方、とりわけその初期においては、機能性や社会的意義を欠いた単なる「形態の遊戯」に過ぎないとの批判も強く、実現性を欠く非合理な空想として「ペーパー・アーキテクチャー」と揶揄されることも少なくなかった。
そんな『脱構築主義』の不遇な時代において、世界に先駆けてこの「空想」を現実化させたのが、実はここ日本であった。なぜ日本では「アンビルト」の建築を「ビルト」化することができたのか。それは、当時の日本において、3つの特異な条件が重なっていたからだ。
まずは1980年代後半、日本はバブル経済という狂騒状態にあったこと。
当時日本は空前の経済的余裕の中にあり、クライアントは他との差別化を激しく求め、「目立つこと」や「新しいこと」に莫大な資金を投じることを決して厭わなかった。
2つめは、日本には「カオス」を受け入れる「懐」があったということ。
歴史的景観の保存が厳しい欧州と違い、スクラップ・アンド・ビルドを繰り返す東京などの大都市の街並みは、強烈な異物を受け入れる「寛容さ」を有していた(それがいいか悪いかは別の議論として)。
そして3つめが、世界最高峰の施工技術を有していたこと。
日本のゼネコンや職人たちは、海外の建築家が「図面すら引けない」と匙を投げた複雑な三次元曲面や不規則に突き出した構造体を、緻密な計算と職人芸で形にする驚異的な技術力を持っていた。
このような「時代の追い風」を一身に受けて、さまざまな『脱構築主義』的建築が日本で誕生することになるのだが、今回紹介する《青山製図専門学校1号館》はまさにその代表例である。
