1987年6月、海外からの幹部を集めた国際経営会議で険しい表情を見せる稲盛写真提供:京セラ(以下同)
「お前か! 本のあっせんを止めたんは。何でや!」1987年、京セラ創業者の稲盛和夫氏から突然浴びせられた怒声。それが、若手社員だった筆者にとって“初対面”となった。社内での書籍あっせんを巡る判断を問われた稲盛氏は、多忙を極める中で自ら2冊を読み比べ、問題の核心を確かめたという。この一件に表れた稲盛氏の仕事への向き合い方、そして人への接し方の本質とは──。
「お前か! 何でや!」鬼のような形相の稲盛から怒声が飛んだ
京セラに入社した私は教育部に配属され、社内報や稲盛和夫の講話録の編集を担当した。しかし、20歳代の担当者でしかない私には、稲盛との接点はなかった。日々その発言に触れ、焦がれていた稲盛との接点は、入社4年目の1987年、思わぬ怒声から始まった。
京セラ旧本社1階の教育部でいつものように執務していた私に、いきなり社長室から「すぐ来るように!」と呼び出しがあった。上司不在だったがお構いなし。この辺りも当時の京セラらしい。
いぶかりながらも、社長室がある2階への階段を急いだ。社長室といっても、お客さまをお迎えする一角を除けば、一般の事務室となんら変わることはない。通用口から入れば、狭いスペースに秘書たちの机が並び、奥にのぞく木製扉の向こうが、当時社長であった稲盛の執務室である。
てっきり、社長室長からお小言をいただくものと思い込んでいた。稲盛の義弟が社長室長を務めていたが、厳しい方でことあるごとに指導を受けていたからだ。ところがいきなり、「社長の部屋に入れ」と指示される。耳を疑った。逡巡(しゅんじゅん)していると、背中を押されるようにして、稲盛の執務室に放り込まれた。






