1980年代半ば頃の稲盛和夫写真提供:京セラ(以下同)
1982年、小出版社の倒産で職を失った筆者の下に届いた一通の電報、差出人は京セラだった。応募の記憶もないまま訪問すると、創業者・稲盛和夫氏の意向で面接が手配されていた。困窮する若者に手を差し伸べた稲盛の「利他の精神」は、社内にも息づいていた。なぜ厳しさの中に心地よさがあったのか。筆者の実体験から探る。
先輩編集者の稲盛宛て書簡で、京セラに入社することに
2024年8月から、稲盛和夫の絶えざる変革の歩みをたどってきた。幸いにも、連載は好評をいただき、全17回をもって完結した。ところが、稲盛の息づかいをお伝えするため、スパイスのごとくまぶした私の実体験が興味深いとのことから、稲盛との接点をたどる「特別編」執筆の要請をいただいた。
隠し味を前に押し立てた調理が、果たして読者の口に合うものであろうか。甚だ不安であるが、拙い私の体験を切り口に稲盛の実像を語ることで、日々変革に努めた人間・稲盛和夫の本質をいささかでも浮き彫りにすることができれば幸いである。
1982年4月、私は稲盛和夫を最初に世に問うた書籍『ある少年の夢』を発刊していた大阪の小さな出版社に就職した。著者の加藤勝美氏が編集長を務め、先輩編集者も稲盛との面識があった。『ある少年の夢』は加藤氏が京セラ社内に駐在しあまたの社員に取材したのみならず、稲盛の両親や旧友にまでインタビューして編まれたもので、稲盛の原点を知る上で唯一無二の書籍である。
ページを繰れば、若き経営者稲盛和夫とその仲間たちが躍動し、読者の感動を誘う。24歳を迎えていた私は、そんな良書を刊行する出版社で働くことに喜びを覚えていた。






