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 これまでに語り尽くされてきた「経営者・稲盛和夫」ではなく「思想家・稲盛和夫」という側面から、稲盛氏の生い立ちや思想について描きたかった――。著書『稲盛和夫と二宮尊徳 稀代の経営者は「努力の天才」から何を学んだか』(日経BP)の執筆動機についてこう語るのは、ジャーナリストの井上裕氏だ。稲盛氏が敬愛していた二宮尊徳は一体どんな人物だったのか、稲盛氏の経営哲学にどのような影響を与えたのか、井上氏に話を聞いた。

幻となった稲盛氏の「尊徳連載」

──著書『稲盛和夫と二宮尊徳』では稲盛和夫氏と、同氏が敬愛する「二宮金次郎」こと二宮尊徳の生き方・考え方を比較しつつ、両氏の思想形成についてひもといています。今回、どのような理由から稲盛氏と尊徳をテーマに選んだのでしょうか。

井上裕氏(以下敬称略) 私が日経ビジネスの編集長を務めていたころ、稲盛氏による連載「敬天愛人 西郷南洲遺訓と我が経営」が終了し、お礼に伺ったときのことです。「次の連載もぜひ」とお願いしたところ、「二宮尊徳をテーマにしてよければいずれやりましょう」とお話いただきました。それがきっかけとなり、稲盛氏の尊徳論に興味を持ったのです。

 しかし、この尊徳連載は「幻の連載」となりました。稲盛氏はその後、日本航空(JAL)の再建などで多忙になり、私も人事異動となったため、お目にかかる機会が少なくなりました。そうこうするうち、2022年8月に稲盛氏がお亡くなりになったというニュースが飛び込んできました。

 稲盛氏は55冊の自著を残しているため、私が稲盛氏について書く必要はありませんでした。しかし、稲盛氏に二宮尊徳について語っていただく機会が永遠に失われてしまったことも事実です。そこでサラリーマン生活に終止符を打った2024年、稲盛氏と尊徳をテーマにした著書を出版しようと決めました。

──稲盛氏は過去の著書で尊徳について言及されていたのでしょうか。

井上 まず稲盛氏は同郷の西郷隆盛と尊徳以外の歴史上の人物にはほとんど言及していません。尊徳についてもいくつかの書籍と講演録に話が残っていますが、西郷ほどではありません。また、尊徳は生前、自身では一冊もまとまった著作を残していません。

 尊徳についての本は一番弟子の富田高慶をはじめとする弟子たちによるものでしたが、一方で尊徳が日記やメモ魔だったことから研究者もたじろぐほどの膨大な資料が残っています。

 戦前戦中には全国の小学校に何万体ともいわれる二宮金次郎像が建ち、勤勉な国民の象徴となったものの、戦後は徐々に忘れられていきました。しかし近年、尊徳は教科書に再び登場しており、再評価の動きもあります。何より、尊徳は稲盛氏がご自分で提案したテーマです。

 稲盛氏の関連書籍は書店の一角を占めるほど多数ありますが、思想家としての側面に迫った本はほとんどありません。そこで、アメーバ経営やJAL再建で語り尽くされた「経営者・稲盛和夫」ではなく、「思想家・稲盛和夫」を形成したものは何だったのか、稲盛氏や尊徳の生い立ちや思想と稲盛氏自身を比較しながら描こうとしました。