受け取りを拒否された《聖マタイと天使》
従来の伝統から逸脱した芸術的革新といえる作品は、賛否両論がありました。時には受け取りを拒否されましたが、すぐに引き取り手が見つかりました。《聖マタイと天使》もそのひとつです。

コンタレッリ礼拝堂の中央にはフランドルの彫刻家コバールトの聖マタイの大理石像がありましたが、評判が良くなかったのでカラヴァッジョに依頼があり、《聖マタイと天使》(1602年)を制作します。しかし、その第1作はマタイの足がむき出しになっていたり、天使の少年と戯れているように見えたりすることから、教会から受け取りを拒否され、描き直した第2作が設置されます。第1作はすぐにジュスティニアーニ候という貴族が購入しました。ベルリンの美術館が所蔵していましたが、第2次世界大戦で消失してしまいました。

また、サンタ・マリア・デラ・スカラ聖堂のために制作した《聖母の死》(1601-03年頃)も聖母マリアをお腹が膨らんだ躯(むくろ)として描いたため、受け取ってもらえませんでした。1607年に売りに出されると、ルーベンスが仕えていたマントヴァ公に勧め、購入させました。
この時代の教会という聖なる場にあっては、このような絵は「品位=デコール」に欠けるという理由でしたが、拒否された絵もすぐに売れるところがカラヴァッジョの人気の高さを示しています。
カラヴァッジョが確立した様式は当時大流行し、ローマやナポリでは模倣する画家が大勢現れました。彼らを「カラヴァッジェスキ」といい、スペイン、オランダ、フランスからイタリアに来て、明暗法や写実主義といったカラヴァッジョ様式を習得しました。画家たちは、母国に帰ってこれを普及したことから、カラヴァッジョ様式はヨーロッパ中に広まります。スペインのベラスケス、フランスのラ・トゥール、オランダのレンブラントも自国でカラヴァッジェスキの作品に触れ、そこからそれぞれの画風を形成しました。
カラヴァッジョは生涯で多くの祭壇画を手がけました。現在でも当時のまま教会に設置されている絵もあります。お勧めしたいのがローマでのカラヴァッジョ聖地巡りです。
「聖マタイ伝」三部作が飾られているコンタレッリ礼拝堂の天井のフレスコ画は、師であるダルピーノが描いていることから、師弟の競演が楽しめます。また、サンタ・マリア・デル・ポポロ聖堂のチェラージ礼拝堂には、正面にアンニバーレ・カラッチの《聖母被昇天》(1600年-02年)、左右にカラヴァッジョの《聖ペテロの磔刑》《聖パウロの回心》(ともに1601年)があり、バロックの先駆者2人の作品が一度に鑑賞できます。カラッチはカラヴァッジョと同時期にローマで活躍し、カラヴァッジョが認めた数少ない画家でした。作品は明るく古典的ですが、カラヴァッジョとともにバロック美術の開花に大いに貢献しました。
礼拝堂で観るカラヴァッジョの作品は圧巻です。差し込む光や観る者の視点を計算して、迫力ある演出がされています。ローマを訪れる機会があったら、ぜひ立ち寄ってみてください。
参考文献:
『西洋絵画の巨匠11 カラヴァッジョ』宮下規久朗/著 小学館
『もっと知りたい カラヴァッジョ 生涯と作品』宮下規久朗/著 東京美術
『カラヴァッジョ巡礼』宮下規久朗/著 新潮社
『カラヴァッジョへの旅——天才画家の光と闇』宮下規久朗/著 角川選書
『1時間でわかるカラヴァッジョ』宮下規久朗/著 宝島社
『カラヴァッジョ』ティモシー・ウィルソン=スミス/著 宮下規久朗/訳 西村書店
『カラヴァッジョ』ジョルジョ・ポンサンティ/著 野村幸弘/訳 東京書籍
『芸術新潮』2001年10月号 新潮社
『日伊国交樹立150周年記念 カラヴァッジョ展』(カタログ)国立西洋美術館・NHK・NHKプロモーション・読売新聞社/発行