世界最大規模のワイン産地であるボルドー。その多彩な土地とそこで生き、ブドウを育てる人の個性をブレンドするワインブランド「ムートン・カデ」はボルドーワインのリーディングカンパニーであるバロン・フィリップ・ド・ロスチャイルド社が手掛ける手頃な価格のワインだ。
そのムートン・カデが、もうすぐ100年になるブランドの歴史が磨いたワインのラインナップとは別に、現代に合う新しいボルドーワインのスタイルとして提案しているのが「オーガニックライン」。これまで一族のニューエイジであるマチルドさん(1993年生まれ)がプロデュースしたロゼワイン「ムートン・カデ・ロゼ・オーガニック・バイ・マチルド」、ナタンさん(1999年生まれ)がプロデュースした白ワイン「ムートン・カデ・ソーヴィニヨン・ブラン・オーガニック・バイ・ナタン」を発売している。となればもう次は赤ワインでしょう、とみんなが予想していたところに登場したのが「ムートン・カデ・ルージュ・オーガニック・バイ・ピエール」という赤ワインだ。
今回は、発売にあたって開催された発表イベントにて、このワインをプロデュースしたピエール・オーグレン・ド・ロスチャイルドさん(1994年生まれ)に話を聞けたので、それを紹介したい。
このワインはこれまでの赤ワインとなにが違うのか?
ムートン・カデ・ルージュ・オーガニック・バイ・ピエール希望小売価格2,200 円(以下も含め価格は税込希望小売価格)アルコール度数:12.5 度 品種:メルロー 有機JAS認証、ビーガン認証取得済
冷やして飲む赤ワイン?
「ムートン・カデ・ルージュ・オーガニック・バイ・ピエール」は、ムートン・カデが最も得意であろう、ボルドーの赤ワインに加わったニューエイジ作品だ。すでにたくさんのムートン・カデの赤ワインがあるわけだから、one of themの赤ワインだったら、わざわざこの新しいオーガニックラインで出す意味がない。果たしてどんな赤ワインを出してくるのか? これはワイン業界では結構、楽しみな一本だった。
右がもっともおなじみの「ムートン・カデ・ルージュ」(1,925円)左が厳選した3生産者のブドウ(基本はメルロー)を使う「ムートン・カデ・キュヴェ・ヘリテージ・ルージュ」(2,640円)中央は「ムートン・カデ・ソーヴィニヨン・ブラン・オーガニック・バイ・ナタン」(2,200円)
そして2025年9月、ついにベールを脱いだ新作は「冷やして楽しむ新感覚赤ワイン」という触れ込み。
なるほど……たしかに赤ワインは室温で飲むのが良い、と考えられがちだ。
ただ、現代を生きる私たちにとって室温って何℃だろう? 多分、20℃から30℃くらいの環境で暮らしていないだろうか? だとしたらそれって赤ワインにはちょっと暑い。フルボディと呼ばれる比較的、味も香りも濃厚な赤ワインでも16から18℃程度が適切な液温と考えられ、実際、20℃代になってしまうとワインはややだらっとしてしまいがちだ。現実的には赤ワインでも飲む前は冷蔵庫で冷やしてしまっていいと私はおもっている。
そういう意味では、冷やして飲む赤ワインはちょっとパンチが弱いんじゃないかなぁ、などと考えながら試飲にのぞんだ。
赤ワインというより白ワインに近い
「ムートン・カデ・ルージュ・オーガニック・バイ・ピエール」をプロデュースしたのは、ムートン・カデの創業者であり、シャトー・ムートン・ロートシルトをメドック1級シャトーに変えた歴史的偉人、フィリップ・ド・ロスチャイルド男爵から数えて4世代目にあたるピエール・オーグレン・ド・ロスチャイルドさん。
ピエール・オーグレン・ド・ロスチャイルドさんは、ムートン・カデの創業者であるフィリップ氏(第1世代)の娘でフィリップ氏の後継者であるフィリピーヌ氏(第2世代)の長女でシャトーの共同所有者のカミーユ・セイレス氏(第3世代)の息子(第4世代)にあたる
経済学とマーケティングの修士号を持っているという若くてハンサムなこの人物にちょっと気後れしながらも、お隣の席になってしまったので、とにかく、「ムートン・カデ・ルージュ・オーガニック・バイ・ピエール」が注がれたグラスを顔に近づけた。
甘い香りがただよってきた。使用されているブドウ品種はメルローだそうなのだけれど、イチゴジャム的な香りというのか、日本人的にはマスカット・ベーリーAのイメージにちょっと近い。味わいもこの甘みのイメージを裏切らない優しい甘みとそれに伴う酸味からはじまって、徐々に主役が酸味へと移り、最後の方で赤ワインらしいタンニンの渋味が、かなり控えめに感じられる。
なるほど、確かにこういうスタイルなら冷やしたほうがむしろいい。
ワインは冷えれば甘みと香りを感じにくくなり、代わりに酸味はハッキリする。一方、ある種の渋みが強調されることがある。だから、そもそも渋みがほぼなく、酸味が核になる白ワインは冷やして飲むのがよいとされるけれど、「バイ・ピエール」も渋みが感じられるのは口の中でワインが温まった後半になってようやく。このワインを特徴づける甘いニュアンスやしっかりした酸味は、冷やしてもネガが出ない、というか、むしろ引き締まって魅力的になる。非常に白ワインに近い理屈で構築された赤ワインだ。
でもじゃあ、冷やしていないと美味しくないか? というとそんなこともなく、室温程度に温まっても、それで甘みが目立ったり、渋みが目立ったりして、もったっとするようなことはない。これは、酸味がしっかりしているからだろう。とはいえ、少なくとも最初は冷やた状態からスタートするのが向いている。
ピエールさんは
「ボルドーのワイン造りを次世代につないでいくのがムートン・カデの使命です。だから、今回、新しい赤ワインを担当することになって私は、現代の赤ワインってなんだろう? と考えました。そこで自由に、気軽に飲める赤ワインを考えたんです。常温、強いタンニンは若い人が気軽に飲む場合には好まれていません」
へぇーとおもったので、あらためて聞いたのだけれど、ピエールさんチームの調査によると、ぬるい液体は好まれない、実際に甘いかどうかは別として甘いニュアンスは好まれる、そしてアルコールの強弱はそれほど問題ではないらしい。
「ではどうするか? それまでの赤ワインのように長い時間、果汁と果皮を接触させず、醸造も低温で行うことで、フルーティーで軽やかに、シンプルに造ったんです」
なに!軽やかでシンプル!? 私は、ここに大いに反応した。
シンプルで何が悪い?
もう10年ほど前のことになるけれど、私はあるワインをシンプルと表現したら、業界的にすごく怒られた経験がある。また軽快なワインという表現も要注意だ。私がワイン業界に入って思い知ったのは、ワインというのは複雑なものに価値があるとされ、シンプルはNG。また、重心の高い低いみたいな表現はあっても軽いはあまりよろしくない。そういうワードはワインへの悪口と考えられがち、ということだった。
◯ 複雑性、エレガント
☓ シンプル、軽い
ただ、私はこれに、実は今のいままで、本当には納得できないでいる。こういう良し悪しの分け方は、話を単純化しすぎなんじゃないか? と考えてしまうのだ。
日本酒を考えてみるのが分かりやすい。日本酒は複雑性をむしろ雑味として嫌い、一貫性をもった清廉ともいうべき液体を、酒造りの技術力の高さとして評価することがある。そして実際、そういう日本酒に出合うと、これはスゴいぞ!と感動し笑みが漏れるものだ。水のようになめらかで清らか、という評価は日本酒には賛辞になる場合がある。しかし、これをワインに対して言えば……侮辱ととらえられかねない。
私ですら、今は誰かが「水のようなワインだ」と言ったら、この人はこのワインにケンカを売っているのかな? と少なくとも一瞬はドキっとする。
だから、かつて私をたしなめてくれた先輩の気持ちが今は分かるし、そうしてくれたことに感謝もしている。その先輩が決して意地悪な人ではないこともよく知っている。でも、その、もはや本能めいた感覚が多様性を拒むバリアになっているんじゃないか? とも考える。
水のような日本酒をワイン文化に慣れた人がなかなか理解できないのは事実だろう。カルチャーが違うのだから。でも、水のような日本酒は本当に水なわけじゃない。それがまごうことなき日本酒だからスゴいのだ。
日本食が世界で愛されている時代だ。いつの日にか、水のような日本酒を生み出す人間の奇跡を、世界が称賛する日が来るだろう。いや、もしかしたらもうそういう時代は来ているかもしれない。
同様に、シンプルで軽快なワインという価値を探求することもまた、ひとつのものづくりのあり方だとおもう。いやむしろ、そういう価値の探求をやめたら、ワインは多様性を失い、文化的に無価値なものになりかねない。
だから、ムートン・カデというボルドーのトップブランドが、こういうワインを出してくれたことを私はワイン好きとして、高く評価したい。
あと、この時に一緒に味わった新しい「ムートン・カデ・ソーヴィニヨン・ブラン・オーガニック・バイ・ナタン」もすごくよかった。私は以前これを「あなたの最初のワインに、ワイン業界のおじさんがオススメしたいワイン」と評したけれど、それが間違っていないと確信した。おそらく今回は、前回よりもさらにいいブドウが手に入ったのだろう。親しみやすさはそのままに「むむ!これはブドウがさらにいいぞ!」とわかりやすく感じられた。そういう経験から、ワインが楽しくなる人が増えてくれるといいな、とおもう。
この3本(いずれも2,200円)はワインの世界への入り口になってくれるはずだ
これまで、ワインというだけで、あるいは赤ワインというだけで、自分には合わないとか、何か警戒感を持っていた人にこそ、ムートン・カデのオーガニックラインを試してみて欲しい。あなたが思っているワインとは違うワインかもしれない。でもワインはそのくらい多様なのだ。それにこのラインはオーガニックだし(わざわざ日本のJAS規格の有機認証を取っている!)ビーガンだし、よっぽどハメを外さない限り、悪酔いするようなこともないはず。
何人かで集まって、まずは1グラス。乾杯!
