時計王国といえばスイスであるが、日本にも素晴らしい時計会社が存在する。そのひとつであり、日本人ならば必ずお世話になっていると言っても過言ではない時計会社がシチズン時計である。シチズンはその名の通り「市民」という意味を持つ。近年はラグジュアリーと呼ばれる高級時計が数多く見られるようになったが、シチズンは社名通り市民や世界中の人々のための時計をつくり続けている。しかも、スイス時計に匹敵する技術を持ちながらだ。今年4月に代表取締役社長に就任した大治良高氏にシチズンの現在について話を聞いた。

社長も「さん」付の会社

JBpress autograph編集部は、時計関連の記事を掲載していることもあって、日頃からシチズン時計のスタッフとは交流がある。そんな中で、シチズンには自由な雰囲気がある、と感じていた。大治社長には、まず、シチズン時計とはどんな会社なのかという質問をぶつけてみた。

「私は大学を卒業してからシチズン一筋なので、他社と比べることはできませんが、雰囲気として感じているのは、人に優しい会社かなということです。あまり上下関係というものもないですし、部長、課長、と役職をつけて呼ぶこともありません。私のことを大治社長と呼ぶ人も、ほぼいません。あまり垣根がないんです。自由闊達とも言えますね」

それは100年を超える歴史の中で育まれてきた企業文化でもあるのだろう。

「ノルマや数字だけを追い求めることはなく、自由に意見が言える雰囲気があります。シチズンの企業理念が“市民に愛され、市民に貢献する”ということ。これはシチズンの名付け親で、当時東京市長だった後藤新平さんが広く市民に愛されるようにとの思いを込めてつけられたと言われています。働いている中で、そういった文化が生み出されてきたのだと思います」

美しくスーツを着こなし、柔らかな空気をつくり出している大治社長からも、その雰囲気が伝わってくる。

時計に特別興味があったわけではなかった

ここで、そんな大治良高氏の経歴に少し触れてみたい。彼は1986年に大学を卒業してシチズン時計に入社している。

「当時は、とくに時計に興味があったわけではないのですが、大学は工学部で機械工学をやっていたので、設計に携わりたかった。それに家から通えるところで、転勤もなさそうだということもありましたし(笑)最初は特販部という部署に配属されて、デジタル時計の企画と工場に渡すまでの仕様の取り決めみたいなことをやっていました。図面も描いていましたし、ある程度思っていたことがやれているかなという感じでした」

その後も、部署は変わるが同じように開発側の仕事をしていたのだが、1994年に転機が訪れる。

「突然、香港に行けということで、現地の代理店のメンバーと営業活動をすることになったんです。それも時計ではなく、水晶振動子といまはない液晶セルなどといった電子部品なんです」

香港で約6年を過ごした後一度日本に戻るが、すぐに中国へ。中国では工場長、その後、営業活動拠点のひとつであるシンガポール支店長となる。転勤がないと思って入社したシチズン時計で、2008年まで約15年に及ぶ長期間の海外赴任が続いたのだ。海外では、製造部門、セールス部門で采配をふるい、近年は本社で取締役として指導的立場にあった。経歴を見ると仕事の振り幅が大きい。その多岐に渡る経験値こそが大治社長の強みになっているようだ。

大治 良高(おおじ・よしたか)1963年生まれ。千葉工業大学卒業後、86年にシチズン時計入社。香港、中国、シンガポール勤務後、2017年取締役、22年常務取締役を歴任。2025年4月より代表取締役社長に就任

海外の時計ブランドやサプライヤーを傘下に

そんな大治社長の40年近いキャリアで、シチズンの世界における立ち位置に変化はあったのだろうか。

「私が入社した86年当時は、シチズンブランドの腕時計、そして、ムーブメントの外販が好調でしたね。それに合わせて完成品OEMも盛んに行われていました。その両輪で成長してきたんですが、まだ世界的には小さかった。2000年ちょっと前から、時計事業拡大に向けて、次なる一手をモノづくりと商売の両軸で検討をはじめていました」

2000年代に入ると、シチズンは海外の時計ブランドやサプライヤーを傘下に収めはじめる。最初はアメリカの時計ブランド、ブローバだった。

「時計事業成長の次のステップに、ということで、2000年代にマルチブランド戦略をとりはじめます。シチズンブランドだけでは網羅できない価格帯や領域などもあるのです。そこでアメリカの老舗ブランドであるブローバを2008年にグループに迎えました。ブローバは今年で150周年を迎える歴史あるブランドで、シチズンがこれまでターゲットにできていなかった領域をカバーする役割を果たしています」

その後、2012年にムーブメント製造に定評のあるラ・ジュー・ペレやアーノルド&サンを持つプロサー社(現ラ・ジュー・ペレ社)を、2016年にはフレデリック・コンスタントを傘下に収めていく。

2016年にシチズングループに加わったフレデリック・コンスタントの『ハイライフ クロノグラフ オートマティック』。搭載のキャリバー「FC-391」はラ・ジュー・ペレ社とのコラボレーションで誕生した

シチズンは機械式も強化しなければならない

「消費者の多様化するニーズに応え、グループとしての存在感も高めるべく、多様な時計を提案できるスイスやアメリカブランドのポートフォリオをそろえることで事業拡大を狙いました。たとえば、カルチャーに根付き、共に歩んできたブローバは当然アメリカ市場が非常に強い。ただ流通はかなりシチズンと被っているんです。でもデザインのテイストが違うんです。シチズンはグローバルで販売することを目指したデザインテイスト。いっぽうブローバはサイズ感や色味や装飾の合わせ方など、シチズンブランドではできないデザインでもあるので、買収したということです。このブランドは現在もアメリカで大きく成長しています」

さらに、ラ・ジュー・ペレ社がグループに入ったことは、その後の展開に大きな影響を及ぼしている。

「ラ・ジュー・ペレ社の買収には、彼らのノウハウや時計製造の文化的背景を学ぶことで、シチズンの機械式腕時計をより良くしたい、という想いがありました。2010年代前半までのシチズンの強みは電池式時計、そして光発電エコ・ドライブにありましたから。機械式時計もずっと製造し続けていましたが、エコ・ドライブに注力している時期が長かったもので」

他にも、スイスにおける機械式ムーブメントの供給問題も影響したようだ。

ザ・シチズンを強くしていくことが重要

「仮に将来的にスイスブランドをグループに加えたとしても、ムーブメントの供給問題は軽減されるだろうというところもありました。でも一番大きな理由は、機械式ムーブメントのノウハウや異なる時計製造文化を社内に取り込めるということでした。シチズンとしては、やはりブランドのトップである『ザ・シチズン』を強くしていくことが重要で、いま、これに取り組んでいます。やはりラ・ジュー・ペレ社の技術は心強いですね」

シチズンのフラッグシップ『ザ・シチズン』 NC1000-51E。キャリバー0210搭載のメカニカルモデル。この佇まいで10気圧防水。この日のスーツに一番合っていたモデルでもある

交流はどのような形で行われているのだろうか。

「スイスブランドのメンバーが日本のシチズンに駐在することはないのですが、出張で来られたりはしています。シチズンからは駐在員を派遣し、彼らがもつ高い設計開発力や加工技術力を学んでもらっています。」

実際に2021年にはラ・ジュー・ペレ社と共同で機械式ムーブメント「キャリバー0200」を開発しており、その選択は間違いのないものだったと実証している。

スイスで時計産業の充実ぶりを目の当たりにしている身としては、日本の時計会社がスイスのブランドやサプライヤーを傘下に収めている図はとても誇らしい。今後、まだ海外ブランドへの投資は続くのだろうか。

「そういったことは縁もありますので。でも話があれば、まったくしませんということではないです。ただ現在は、スイスではアーノルド&サン、フレデリック・コンスタント、アンジェラス、アルピナといったブランドを持っていますので、グループのブランドをグローバルでもっと成長させるということに重点を置いているところです」

ヨーロッパで火がついたTSUYOSAコレクション

海外といえば、TSUYOSAコレクションが世界的な人気となっている。ケースと一体型ブレスレットを備え、シンプルだが文字盤がカラフルな非常に魅力的な機械式時計だ。このモデルはどのようにして生まれたのだろうか。

25年はTSUYOSAから37mmサイズのメカニカル5モデルが登場した。5気圧防水、約42時間のパワーリザーブと実用性の高い腕時計だ

「もともと2021年にアジアで出したモデルなんですね。とくにプロジェクトチームをつくってというわけでもなかったと思います。ヨーロッパに行って火がついたんです。フランスからという話は聞いたんですが。TSUYOSAも愛好者の間で呼ばれているニックネームみたいなもので、自然発生的で、誰がつけたのかわからないんですよ。シチズンでは基本的にこのような名前はこれまで採用したことはありませんでした」

そういえばシチズンの他モデルとTSUYOSAでは名前の系統がまったく違う。

「弊社では、シチズンがあって、サブブランドとしてアテッサやクロスシーなどがあるんです。そこまでは、積極的に訴求をしていますが、愛称的な細かいネーミングなどは率先して名付けたり、訴求することはあまりありません。さすがにTSUYOSAって日本語としてもよくわからないじゃないですか(笑)でも、SNSなどで瞬く間に広がっていき、ヒットしていったという感じなんです。なので、TSUYOSAという名は流れですね。そこまで大きくなってしまったら止めようがないし、認めざるを得ない。現在は、より面白いTSUYOSAにしようと、チームとして動いています。この盛り上がりを生かしていきたいと思っています」

美しくスーツを着こなし、柔らかな空気をつくり出している大治社長からも、その雰囲気が伝わってくる

ムーブメントは時計業界全体を支える心臓部

では、今後のシチズンはどのようになっていくのだろうか。事業計画的なものを拝見すると、波のない、堅調なイメージを受ける。ただ市場は常に変化している。

「シチズンは、良い意味でも悪い意味でも、非常に堅いというか、石橋を叩いて渡るみたいな会社であることは間違いないと思うんです。時計のことだけで言わせてもらうと、今まで大切にしてきたモノづくりへのこだわりや、想いについてはこれまでと変わりません。ただ、永く広く世界中の人々に愛される時計を作るためには、日々よりよいものを探求することをやめず、市場の変化に対応していきたいと思っています。我々には完成品のブランド、シチズン、ブローバ、フレデリック・コンスタントなどがあります。そして、ミヨタブランドとラ・ジュー・ペレ社というムーブメント製造会社を持っています。なかでもムーブメントは時計業界全体を支えている一番重要な心臓部。それを我々が供給させていただいているということを非常に心強く思っているんですよ。完成品のブランド名が表には出ていますが、それを下支えしているのはミヨタであり、ラ・ジュー・ペレ社なのだと思っているんです」

大治社長がスーツに合わせてきたのが『シチズン カンパノラ 宙鏡(そらかがみ)』NZ0000-58L。普遍のロマンを表現したメカニカルコレクションだ

「世界の時計産業は金額ベースでいくと、7割以上をスイスが占めてます。世界市場でシチズングループのプレゼンスを高めていくには、このラ・ジュー・ペレ社でしっかりと入り込むということが重要です。 私がいま以上に進めていきたいことは、世界の時計業界をしっかりと支えること。 表側もそうですしし、裏からもしっかりと支えるというところを強くしていきたいと思っています」

ただ「強くしていきたい」というのは、数というわけではではないのだ。

時計の原点に帰って考える

そこには時計業界の現状もある。

「腕時計市場を見ると、販売数量は下がっていますが売上金額は上がっているんです。ですからムーブメント事業においては、、同業者の顧客を取りに行くのではなく、私たちのお客様であるブランドに、しっかりとした品質のムーブメントを納めるということです。つまり、ブランド側とがっぷり四つに組んで上質な時計を製造していけたらと考えています」

ただ現代は、腕時計の競合は純粋な時計だけではない。スマートフォンやスマートウォッチの台頭、普及によって、シチズンなど時計ブランドが生産する時計とは違った形で、時間を知ることできるツールが出てきたのだ。

「スマートフォンの場合は、ポケットに入れるかカバンに入れるかです。実際に腕にしないというところで、直接のコンペティターにはならないなという気はしました。でも、スマートウォッチが出てきた時は、正直、大きなインパクトがありました。腕の領域に入ってきたのかと。なので、我々も大きな脅威を感じました。機能がスマートフォンと連動するので、運動したりする時に便利ですし」

『ザ・シチズン』 AQ4100-65Mの文字盤は藍染の伝統技法で「勝色」に手染めしたもの。年差±5秒のシチズンが誇る「光発電エコ・ドライブ」搭載モデル

そこで大治社長は「時計とは何ぞや」と、原点に帰って考えてみたという。

「なぜ腕に時計をしているんだろう、と考えました。時計は腕にしながら常に私と共にいる。朝起きてから夜帰宅して外すまで、24時間とは言いませんが、常に腕にあるんです。日本人的に言うと、魂が宿っているのかな、と。腕時計には不可思議な何かがあり、単純に時刻を表示する以外に、搭載された機能やデザインを含めた情緒的な価値がある。そこを楽しめるのが時計なんじゃないかな、と思いました。だから、そういったところをしっかりと追求して、お客さまにワクワクしていただけるような商品とサービスを提供していきたいと考えております」