劇的な明暗表現を用い、まるで風俗画のような「聖マタイ伝」は人々を魅了します。これまでの宗教画とは全く違った表現の背景には、当時のカトリック教会の意向がありました。

文=田中久美子 取材協力=春燈社(小西眞由美)

《聖マタイの召命》1600年 油彩・カンヴァス 322×340cm ローマ、サン・ルイジ・デイ・フランチェージ聖堂

バロックの幕開けとなった「聖マタイ伝」

 1600年、サン・ルイジ・デイ・フランチェージ聖堂コンタレッリ礼拝堂の「聖マタイ伝」連作が公開されると、人々はこの絵を一目見ようと殺到しました。なぜそれほどにこの絵は一世を風靡したのでしょう。

《聖マタイの召命》(1600年)は、聖書の「マタイによる福音書」にある物語です。当時、忌み嫌われ軽蔑される職業だった徴税士のマタイでさえも、キリストは召し抱えたという逸話で、カラヴァッジョが描いたのはキリストと聖ペテロがマタイの前に現れた場面です。

 当時の賭博場や居酒屋のような場所で、当世風の衣装に身を包んで訝しげにキリストとペテロを見る若者や、彼らに気づかずコインを数えるのに余念がない者が描かれています。キリストの顕現という奇跡が神秘化されることなく、あたかも日常の現実のなかで起こっているような表現です。これには理由があります。

 この頃、16世紀にルターにより始まった宗教改革に対抗して、ローマ・カトリック教会が行った反宗教改革の時期でした。プロテスタントは偶像崇拝を否定しましたが、カトリック教会は宗教美術を布教に使おうとします。そのため民衆にわかりやすく、観る者が没入できるような絵画を求めたのです。そこでカラヴァッジョは当時の人たちに身近な場所や、当世風の人物を描き、これまでの宗教画とは全く違った、まるで風俗画のような表現の作品に仕上げました。

 マタイは以前、画面左で指を差している髭の男性だと言われていましたが、現在では左端でうつむいてコインを数えている若者だとされています。キリストが「私に従いなさい」とマタイに呼びかけると、髭の男性は自分ではなく左端の若者を指差しているという解釈です。また、マタイを召命するキリストの手はミケランジェロが制作したシスティーナ礼拝堂天井画《アダムの創造》(1508-12年)の父なる神の手がアダムに生命を吹き込む図像における、アダムの手との類似を指摘されています。

ミケランジェロ・ブオナローティ《アダムの創造》1508-12年 フレスコ ヴァチカン、システィーナ礼拝堂

 また、《聖マタイの殉教》(1600年)では、王が送った刺客がマタイの命を奪う場面を描いています。倒れているマタイのそばにいる裸の青年の筋肉隆々の人体表現は、カラヴァッジョがミケランジェロなどルネサンス美術を勉強していることを示しています。遊び人だったと言われているカラヴァッジョですが、古典からも学び、極めて写実的な表現を習得しました。絵に対する気持ちには強いものがあったと思います。

 剣を持つ裸の若者は刺客から剣を奪ったキリスト教徒で、本当の刺客は若者の背後で振り返っている人物だという説もあります。またこの人物の顔はカラヴァッジョ自身だとされています。

《聖マタイの殉教》1600年 油彩・カンヴァス 323×343cm ローマ、サン・ルイジ・デイ・フランチェージ聖堂

《聖マタイの召命》《聖マタイの殉教》が1600年に完成したことも重要な点です。ローマでは25年に一度、この年にローマに巡礼してミサに参加すると大赦が与えられるという「聖年(ジュビレオ)」が1300年から行われました。教皇や枢機卿、貴族たちが各地から芸術家を招いて大規模な造営や装飾事業を行うため、聖年には記念碑的な作品や新しい様式が生まれました。1600年の聖年には街路や広場、噴水などが整備され、カトリック世界の壮大な都市となっていたローマで、カラヴァッジョが新しい「バロック」という様式を生み出したのです。