③【藤原頼宗 紀貫之、平兼盛と並ぶ和歌の名手】(道長の二男/明子の一男)

 正暦4年(993)~康平8年(1065) 享年73

 上村海成が演じる藤原頼宗は、倫子所生の頼通や教通に比べると昇進は遅いが、明子所生の男子の中でただ一人、右大臣に上り、堀河右大臣と称された。

 異母兄・頼通の意向に反し、娘・延子を後朱雀天皇に、昭子を後三条天皇(後朱雀天皇と後述する禎子内親王の皇子)に入内させたが、皇子が誕生することはなかった。

 家集『入道右大臣集』があり、紀貫之、平兼盛と並び称される和歌の名手でもある(『類聚伝記大日本史 第1巻』)。

 

④【藤原姸子 親子ほど年の離れた三条天皇の中宮に】(道長の二女/倫子の二女)

 正暦5年(994)~万寿4年(1027)享年34

 倉沢杏菜が演じる藤原姸子は、寛弘7年(1010)、木村達成が演じる皇太子・居貞親王(後の三条天皇)の許に入侍する。

 姸子は17歳、居貞親王は35歳と親子ほど年齢が離れていた。

 しかも居貞親王には、すでに朝倉あきが演じる藤原娍子という妃がおり、阿佐辰美が演じる敦明をはじめ、四男二女の子をなしていた。

 寛弘8年(1011)に居貞親王が践祚し、三条天皇が誕生すると女御となり、長和元年(1012)に中宮となった。

 翌長和2年(1013)に、三条天皇の第三皇女となる禎子内親王を出産するも、皇子誕生を切望する父・道長の反応は冷淡だった。

 この禎子内親王は万寿4年(1027)、皇太弟であった敦良親王(後朱雀天皇)の許に参入し、摂関政治に黄昏をもたらす尊仁親王(後の後三条天皇)を産む。