⑤【藤原顕信 19歳で突然の出家、両親を心神不覚に】(道長の三男/明子の二男)
正暦5年(994)~万寿4年(1027) 享年34
百瀬朔が演じる藤原顕信は、長和元年(1012)、19歳の時、右馬頭の地位を捨て、突然に出家した。
母・明子は心神不覚となり、そんな明子を見た道長も不覚になったという(『御堂関白記』長和元年正月16日条)。
⑥【藤原能信 養女が白河天皇の母に】(道長の四男/明子の三男)
長徳元年(995)~治暦元年(1065)2月9日 享年71
藤原能信は、治安元年(1021)に権大納言に進んでから45年間、官位が昇進することがなく、これは異母兄・頼通と不仲であったからだとみられている。
能信は頼通に対抗し、後朱雀天皇が崩御する直前、頼通や頼通の同母弟・教通を外戚としない尊仁親王(後朱雀天皇と禎子内親王の皇子/後の後三条天皇)の立太子を推し進めた。
寛徳2年(1045)、後朱雀の譲位を受け、後朱雀の第一皇子・親仁親王(母は、能信の同母妹・藤原嬉子)が践祚し、後冷泉天皇が誕生。尊仁親王は皇太弟となった。
能信は養女・藤原茂子(実父は藤原公成)を尊仁親王の許に入れ、天喜元年(1053)に貞仁親王が誕生する。後の白河天皇である。