女房三十六歌仙の一人

 彰子に仕えるようになった賢子は、歌人としても活躍し、高く評価された。

 家集『大弐三位集(藤三位集)』を残し、母・紫式部とともに女房三十六歌仙の一人に数えられている。

『後拾遺和歌集』巻第十二 恋二に所出する賢子(作者名は大弐三位)の歌、

 有馬山 ゐなのささ原風吹けば いでそよ人を 忘れやはする

(有馬山に近くの猪名の笹原で風がそよそよと音をたてるように、私はけっしてあなたのことを忘れません)

 は百人一首に選ばれており、ご存じの方も多いだろう。

 

貴公子たちに愛される

 賢子は、貴公子たちとの恋愛でも知られる。

『後拾遺和歌集』巻第十四 恋四には、道長と瀧内公美が演じる源明子の子・藤原頼宗へ送った

 こひしさのうきにまきるゝものならはまたふたゝびと君を見ましや

(恋しさが憂さ辛さによって紛れるなら、二度とあなたにお逢いしましょうか。紛れないからこそ、またお逢いしたいのです)現代語訳 校注 久保田淳 平田喜信『後拾遺和歌集 新日本古典文学大系8』より

 という歌があり、頼宗と恋愛関係にあったという。

 また、町田啓太が演じる藤原公任の子・藤原定頼とは、定頼が蔵人に在任していた寛仁2~3年(1018~1019)頃に、親交があったと推定されている(森本元子『定頼集全訳 私家集全釈叢書6』)。

 益岡徹が演じた源雅信の孫・源朝任(倫子の異母兄・源時中の子)とも、治安2~3年(1022~1023)頃、交際していたと考えられている(服藤早苗 東海林亜矢子『紫式部を創った王朝人たち――家族、主・同僚、ライバル』所収 栗山圭子「第十三章 天皇乳母としての大弐三位――母を超えた娘」)。

 賢子の恋は、まだまだ続く。