写真:瀧本加奈子 文:沢田眉香子
京都の寿司、は鯖寿司、箱寿司、巻き寿司などを持ち帰りや配達で楽しむのが伝統だ。「京寿司」と呼ばれる寿司の「食べられる工芸品」のような技をご存知だろうか。
戦後の食糧統制が、にぎり寿司を全国に普及させた
京都・祇園の八坂神社石段下「いづ重」。開店と同時に、寿司を求める客が次々と押しかける。品書きは、鯖寿司、箱寿司、巻き寿司がメインで、丹念に包まれて手渡される。
にぎり寿司は、今や日本の寿司の代名詞だが、もとは東京の食べ物。全国に広まるきっかけとなったのは、関東大震災で寿司職人が各地に散らばったこと。そして戦後の食糧統制だ。米不足の中、ご飯の食べ方や量が制限され、シャリの小さな握り寿司を中心にした「盛合わせ」の形式が定められ、それ以外の寿司の製造、販売が禁止された。
これによって全国ににぎり寿司が普及し、各地にあった郷土寿司の文化は、影を薄くしてしまった。
しかし京都は例外的に伝統的な寿司が今も人気だ。何が京都の寿司を守ったのか?「古き良き」を求める観光客のニーズ、伝統工芸を重んじる気風、誇り高い職人だろう。
燃えるかまど。100年前と変わらない仕込み
京寿司の料理人はまさに職人、そして厨房は、工房さながらだ。
祇園「いづ重」は、明治末の創業。
昨年、古い店舗を解体し、新しい建物で再オープンしたが、旧店舗と同様におくどさん(かまど)を設置。消防所と粘り強く交渉し、ガス火とは違う、かまどの「赤い炎」にこだわった。朝5時から薪をくべ、2時間かけて温める。
厨房に電気製品は見当たらず、鍋には10時間以上、煮続けられるシイタケ。特注の濃い豆腐で手揚げした油揚げが、おくどさんの赤い炎でぐつぐつと煮ふくめられている。野菜を洗い、細かく切るといった下仕事のすべてが手作業。年間6000万人が訪れる観光地の目抜き通りで、100年前と変わらない仕込みが行われる。
ご飯の上に、懐石料理が貼ってある
時間をかけて仕込むネタだけでなく、寿司をつける工程も、まさに職人技だ。
ご飯とネタを型に入れて押す「箱寿司」は、全国各地にあるが、「いづ重」の上箱寿司は、モザイク状の色彩が美しい。白は塩を当て軽く締めたヒラメ、薄い茶色はサワラのタレ焼きを包丁でつぶしたもの。夏場は穴子、鱧など季節の魚を使う。紅白はエビ、黄色はすり身を入れて焼いた厚焼き玉子、とり貝が黒のアクセント。魚の下には木の芽を敷いて目に爽やかな緑を透けさせる。冬場は、すりおろした黄色いゆず皮が、色と香りを添える。
「箱寿司を『ご飯に、二寸六分の懐石料理が貼ってある』と言ったのは、大阪の『吉野寿司』の番頭さんでした」と、「いづ重」店主の北村典生さん。
モザイク状のネタの一片一片は、完成されたお料理なのだ。箱寿司は大阪、京都の寿司で、関西寿司とも総称されるが、大阪では老舗の閉店もあり、残念ながらかつての存在感は、薄れつつある。
「ご飯が命」の京寿司
京寿司の江戸前握りとの大きな違いが、ご飯をなにより大切にしていることだ。「いづ重」では、滋賀県産の日本晴を井戸水でとったカツオと昆布のダシで炊く。味を染み込みやすくするため、使うのは古米だ。甘めの寿司酢をまとわせ、あおがずに米の芯まで味を含ませる。
東西で味わえる、「すし」の進化のふたつのステージ
江戸前握りとのもう一つの大きな違いは、京寿司は生の魚を使わない、ということだ。
これは、京寿司と江戸前にぎりは、寿司の進化の異なるステージに属しているからだ。
寿司の起源は東南アジアから米と共に伝来した魚介の発酵食だ。奈良時代からある保存食「なれずし」は、ご飯を漬け床にして魚を発酵させたもので、滋賀県の名産品「ふなずし」がこれにあたる。その発酵期間を短くして、魚をご飯と一緒に食べる「早ずし」となり、18世紀の江戸で、発酵や熟成のプロセスを省略し、にぎり寿司になった。この進化から見ると、京寿司は、江戸前よりずっと古い「早ずし」の痕跡を残している。つまり、ご飯とネタの「熟成」が重要になる。ネタと一体になり、時間とともに「なれる」のが京寿司のおいしさだ。