それはもう、「所作」とでも呼びたいような、流れるように優美かつ迷いのない手つき。清潔に整えられた輝く刃が寸分の狂いもなく事を成し遂げるさまは、思わず息をのんで見入ってしまうほど。

これ、職人が魚を捌くシーンについて言っているつもりである。

恐らく、そんな光景に魅了されたであろう文豪が耽美主義の代表格、谷崎潤一郎氏。彼の代表作である『細雪』には、主人公一家が贔屓にする寿司屋の職人についてのこんな描写がある。
「庖丁を取るときの一種興奮したような表情、目つきや手つき」。不愛想かつ、かなりの奇人で気に入らない客に対しての対応はけんもほろろであるが、天才肌。当然フィクションなのだが、店主のキャラクターが鮮やかすぎて、モデルとなった人物がいることは予想に難くない。しかも、この店に滞在する様子が9ページ超(新潮文庫『細雪』中巻)。いくら長編小説とはいえ、長い。

魚屋さんにお願いすればいいだけなので出来なくても支障はないが、自分で魚を捌けるようになりたいという声は多い。それは、魚をおろす=単なる下処理&手間ではなく、継承されるべき日常にある美しい技だからではないだろうか。

そこで指南をお願いしたのが「日本一の魚屋」と称される「根津松本」店主・松本秀樹さん。店内に入ってまず驚くのが、冷蔵ケースに収められた魚介の輝くばかりの美しさ。さらに、デパ地下鮮魚店でもびっくりなお値段だ。
一度の訪問で〇万円は覚悟の高級寿司店レベルの妥協なき仕入れ。また、「おいしいけど、小骨が多くて魚は食べにくい」という当然のことを是とせず、切り身は小骨まで丁寧に取り除くという徹底ぶり。
目利きの力は言うまでもなく、最高の魚を最高に美味な状態で供するための精度に、仕事に向き合う凄いような気迫。意地もプライドも桁が違う。

解説するのは、基本中の基本「鰺の三枚おろし」。これができれば、もっと大型の魚にも応用できる。何度か試みる経験値は必要だが、成功すれば最高に気分がいい。そんな耽美な三枚おろし術、ぜひ我が物にしてみてほしい。    

鰺の三枚おろし

鰺…お好みの量
刺身にする場合、薬味として穂紫蘇や大葉、芽葱、つまなど各適量

作り方

ぜいごをそぎ取る。ぜいごは、鰺の体の中心部を横切る棘のように固い突起状の鱗のこと。尾側から突起の際に包丁を寝かせて入れ、刃を上下させ切り進める。頭の近くまで続いているので、両面ともにすべて取り除く。

ぜいごは、後方から大型の魚に捕食されるのを防ぐために鰺が搭載した防御機能だといわれている。身をそぎ取らないよう、包丁を寝かせつつ、刃はやや上向きにキープ。

ウロコを引く。鰺の頭を押さえ、身に傷がつかないよう尾側から頭に向けて包丁の刃をスライドさせ、流水でウロコを洗い流す。

ひれの周りはウロコが残りやすいので注意。

頭の上部付け根の際から胸びれの下に向けて、中骨に当たるまで包丁を入れる。裏側も同様に刃を入れ、腹側に3センチほど切れ込みを入れて傷つけないようにしながら内臓を掻き出し、頭を落とす。内臓を傷つけるとまな板が汚れるため、中骨は鰺の後頭部から刃を入れて断ち、腹側は最小限にとどめる。

胸びれは持ち上げて押さえ、バンザイの状態に。

腹側の中骨に沿ってさっと軽く包丁を入れて血合い膜を破り、しっかりと指で掻き出しながら流水で血合いや内臓を丁寧に洗い流す。ここまでが「水洗い」と呼ばれる工程。この後は水分を残さないよう、鰺の表面や内側もしっかりキッチンペーパーなどで拭く。

包丁とまな板もしっかり水分を拭きとるのがポイント。

胸から尾にかけて、腹びれ上部の際を通るように平行にすっと切れ目を入れた後、それをガイドラインとして刃先が中骨に当たるように同じく胸から尾にかけて切る。 

一太刀ではなく、2~3回に分けて切り進める。平行に切った刃が中骨に到達したら、骨の円柱形の上部を包丁の切先が這うような感覚を意識する。その時、手首に角度をつけ、包丁のハンドル部分を上に持ち上げると身が残りにくい。

背の側も、頭から尾にかけて最初は浅く切れ目を入れ、次に中骨に当たるように深く切り進める。裏面も同様にして中骨から身を切り離す。 

包丁を寝かせ、腹骨をすきとる。腹骨のカーブに合わせて包丁を動かし、なるべく薄く、余分な身を切り取らないようにする。

骨抜きを使い、指の腹で確認しながら身の中央に垂直に入っている小骨を抜く。頭側に引っ張ると、骨に余分な身がつきにくい。

頭側の切り口に、身に対して平行に入っている骨もあるので、これも忘れずに。

皮を引く。頭側、背の方の皮を指でつまみ、身と皮の境目を包丁の峰でトントンと叩くとはがれやすくなる。 

10皮面を下にし、まな板に押し付けるようにしながら境目に包丁の背を当て、皮を上下に動かしながら身と切り離す。

11刺身にする場合、食感を確保し、噛みしめるほどのうま味を感じられるよう、3㎝幅程度の大きさに切る。幅2㎜、深さ1㎜程度の飾り包丁を入れると、醤油がからみやすくなる。つまや薬味とともに盛り付ける。 

 「根津松本」とは?

北海道の鮮魚店を営む家に生まれ、デパートの高級鮮魚店勤務を経て2006年に独立した松本秀樹さんが営む店。通常なら銀座の高級寿司店でしか出合えないような最高品質の魚だけを扱う。もちろん原価率は寿司店より高く、高価ながらリーズナブルという新領域を開拓。小骨を抜くなど徹底した下処理を施し、干物もすべて自家製。豊洲市場では相当怖がられていそうだが、お客からすればおいしくて食べやすいという最高に親切な名店。

教えてくれたのは

松本秀樹さん
「魚を捌くのは、慣れです。シンクや台所が汚れるので、ウロコを落とすときは新聞紙をひいたりするといい。仕事は何事も清潔感が大事。それさえできれば、家族からも嫌われない良い趣味となります」