商売道具としてプロが使う包丁は、当然家庭のそれよりも、切れ味が鋭い。しかし、「包丁の切れ味」というと、ちょっと別なニュアンスを帯びることもあるようだ。

自らを「純文学と大衆文学の両刀使い」と評したとされる昭和文壇の“二刀流”にして、直木賞受賞作家の立原正秋氏。食の通人としても名高い彼は、エッセイ集『美食の道』でこう述べている。「包丁の切れ味というのは、結果的には、うまいものをこしらえることに尽きるはずである」。ゆえに、家庭の主婦が叩いた鯵が板前よりも旨いこともあり、それは「包丁の切れ味がよい」ということになる。

しかし、物理的に「切れない」包丁は、ストレス以外の何物でもない。切れ味が鋭ければ、食材の組織を必要以上に壊さないため、見た目も味も変わる。清楚に整えられた道具は、持ち主に腕を貸してくれるものだ。そこで欠かせないのが「包丁研ぎ」。面倒かつ難しそうとしり込みしがちだが、何度か試みると、このぼっち作業が意外にも地味に楽しく、どんどん引き込まれてしまう。

薄切りや千切り、かつら剥きなど痛快に進行し、仕上がりにうっとりする。すっきり整って輝く刃先を眺め、恍惚感さえ抱く。自分なりの改善点に気づき、ますます邁進したくなる。しかも、この趣味はどれほど没頭しても、経済的負担が非常にライトなのに見返りが大きいため、家族からも歓迎されるというおまけ付き。

今回は、プロからの信頼も厚い老舗料理道具店「釜浅商店」の指南で、基本の包丁研ぎ“How to”をご紹介。「今までの包丁ライフが何だったのか!」と実感すること必至。生涯恩恵を受けられる“最強ライフハック術”、試さない理由は、もうどこにもない!

包丁基礎知識(最初にそろえるべき包丁)

「V金1号 ペティナイフ」(125㎜)8,021円
「V金1号 三徳庖丁」(175㎜)14,666円

ペティナイフ(写真上)
小ぶりなサイズで、果物の皮むきなど小回りが必要な作業に適している。
三徳包丁(写真下)
その名の通り、肉・魚・野菜に対応できる万能型。

砥石の基礎知識

写真左から

荒砥石(あらといし)※80~500番くらい
刃こぼれや刃の形を整えるときに使用する。荒砥石だけでは、まだ切れる状態にはならない。

中砥石(なかといし)※800~2000番くらい
切れ味が落ちたとき刃を鋭くし、食材が切れる状態に。家庭の場合、これだけ持っていればOK。

仕上げ砥(しあげと)※2000番以上
刃の表面を光らせたり、エッジを滑らかにする。中砥石の後に使用。

面直し砥石
砥石も使用するごとにすり減り、中心部が窪んでくる。そのままだと刃の当たりにムラができてうまく研げなくなるため、砥石面を水平に削るための道具。

包丁の研ぎ方/洋包丁(両刃)

1.砥石を気泡が出なくなるまで、水につけておく。(浸水不要のタイプもあるので、購入時に要確認)

2.安全に研ぐため、濡れたタオルなどの上に砥石を置く。

3.表面から研ぐ。包丁は、ハンドルを左にして刃が手前に向くのが表。砥石と刃が接する角度は、10~15度(10円玉2枚分の厚みが砥石と刃の間に入るのが目安)。削れた包丁と砥石、水が混ざり合った液体は、潤滑油代わりになるので取り除かない。作業中、表面が乾いたら適宜、砥石に水をかける。

4.手元から奥に押すイメージで、力を加えすぎずに研ぐ。切先と刃中、刃元に分けて、それぞれ同じ角度をキープしながら同回数研ぐ(各30回程度)。切先はその形状から密着しにくいので、手首の角度を調整して砥石面に触れるようにする。ややスピード感を持って動かすのが、安定して同じ角度を保つコツ。刃を構える角度は、自身の体に対して45度くらいがやりやすい。

5.反対側に返して同じ要領で裏面を研ぐ。こちら側は、刃先を向こうに向けて引くときに研ぐイメージ。ハンドルに砥石が当たって刃元が研ぎにくいため、刃と砥石の向きがまっすぐ平行になるように研ぐ。

6.刃先に光沢がある細い線(2㎜幅程度)ができ、研いだことで削れた金属が反対側に反った「バリ」(かえり)ができていることを確認。バリは、指で触るとやや盛り上がっているのがわかる。

7.仕上げに、バリを落とす。デニムの生地や新聞紙などにこすりつけて、刃先の盛り上がっている部分を落とす。これが十分でないと、研いでも食材を切ったときに引っかかりができる。研いだばかりは金属の匂いがするので、少し置いてから使用するのがベター。また、使用後の砥石はよく洗い、乾かして保管する。

片刃包丁の研ぎ方

片刃包丁とは、出刃などに代表される和包丁のタイプで、刃が片方にのみついた形状。基本の研ぎ方は洋包丁と変わらないが、刃がついている方だけを研ぎ、反対側はバリを落とす程度に数回砥石に当てて動かすだけでOK。

意外と知らない包丁NG行為

切ってはいけないもの
冷凍食品・かぼちゃなど、硬い食材→電子レンジで解凍・加熱してから
肉や魚の骨・甲殻類の殻→出刃包丁もしくは、サブの包丁で

刃を痛めてしまうNG行為
食洗器・乾燥機、直火に当てる、漂白剤の使用

意外とやりがち、これもNG!
水切りかごで保管→一見乾かしているようで、水分が多い水切りかご。金属に水気は大敵なので、洗ったらすぐに拭いて、ラックなどで保管。

まな板上で刃を横にスライド→刻んだ食材を集めるとき、やりがちなのがまな板上で刃を横にスライドする行為。これも刃が痛む原因になることから、包丁の峰(背)部分を使って。

あると便利な、包丁周辺グッズ

「庖丁にやさしいまな板[黒]」(小)5,390円、「ミラクルクリーン」1,100円(写真奥)、「しゅろのやさしいたわし」(棒)990円、「刃物椿」539円、「砥香」(東雲と十六夜)各3,520円

自身で道具を育てる意識を持ち始めると、やはり周辺グッズも気になってくるもの。刃のダメージを軽減してくれるまな板。また、また板に負担をかけずに洗えるたわし。さらに鋼素材で錆が出てしまった包丁に使えるクリーナーや、錆止めの油なども持っておくと便利だ。

異色なのが、今年2月に発売された砥石専用のアロマウォーター「砥香(とか)」。朝と夜をイメージした2種の香りを用意し、包丁研ぎの静謐な時間を香りという新たなアプローチでもっと心地よくしてくれるユニークなアイテムだ。

教えてくれたのは

エスクデロ ジェレミーさん

「突き詰めれば、包丁研ぎに正解はない。研ぎのプロでも、それぞれに考え方があります。でも、自宅の道具を良好に保つための研ぎ方って、実はそれほど難しくないんです。リラックスして、音楽でもかけながら試してみるのがおすすめです!」

「釜浅商店」とは?

明治41年、初代・熊澤巳之助氏が釜の専門店「熊澤鋳物店」として合羽橋に創業、後に「釜浅商店」と屋号を改める。『良理道具(りょうりどうぐ)。良い道具には、良い理(ことわり)がある』の信念のもと、オリジナルアイテムや日本各地からセレクトした道具を提案し、プロの料理人も絶大な信頼を寄せる老舗。