撮影:山崎純敬 取材:沢田眉香子

琵琶湖は、世界に20か所しか存在しない古代湖のひとつ。400万年もの歴史が育てた固有種の魚介は、60種を超える。ニゴロブナやホンモロコ、ビワコオオナマズ、ビワマスなど「世界でここでしか食べられない魚介」を、これほど豊富に擁する日本の湖は、ほかにない。

とはいえ、それを食べる機会は、滋賀県の隣の京都に住む私にも、いままでなかった。知られざる「湖(うみ)」の幸をコースで味わう「湖魚とワインのペアリングの会」が開催されると聞いて、参加してみた。

この会は、滋賀県漁業協同組合連合会青壮年部の会長を務め、自身も堅田漁港の漁師である、横江拓郎さんが、石山寺の門前にある、しじみ飯の有名店で、近年、うなぎや湖魚メニューに力を入れている「湖舟」の井上水晴(みはる)さんに依頼したもの。ほかのゲストも、琵琶湖で操業する若手の漁師と養殖家という、湖魚を熟知する面々。ワインのセレクトは、滋賀県守山市のナチュラルワインの専門店AZURE BLUEの佐々木祐哉さんが担当した。

 アマエビのような甘味と粘り。ギンブナの刺身に歓声

8品で構成されたコースの一品めは、秋の名月をかたどった前菜。

玉子豆腐とワカサギの天ぷら、スジエビ、フナの皮の唐揚げ

彩りはまさに京料理風だが、材料の魚介はすべて琵琶湖の幸だ。合わせたワインはダニエーレ・ピッチニン『ビアンコ・デイ・ムーニ 』(2021年 白 イタリア ヴェネト)。どこか日本酒を彷彿させる旨みの強い白が、「和食との距離が近くなるように」という佐々木さんの狙いにピタリとはまる。

次は、近江八幡で伊吹山の水で養殖されている近江海老、そして湖魚の造り。

近江海老。近江八幡で、伊吹山の水で養殖されている。海ブドウの養殖にも成功した
湖魚の造り

淡水魚を刺身で口にすることはそもそも少ないが、魚の名前を知らされずにまず一口。まるで甘エビのような濃厚な甘みとねっとりした食感である。ゲストから「なんだ、これ?」と、驚きの声があがった。 

「ギンブナの刺身です。あがった魚を活けじめにして、4日間熟成させました。フナは、すき焼きにしても美味しいんです」と、井上さん。長年、琵琶湖の魚を扱っている漁師さんたちにも、これは初体験の味だった。

ワインとの相性も抜群だ。合わせたワインは、ロンガリコ『アッロンブラ・ディ・ピーニ メトド・クラシコ』(2020年 スパークリング イタリア シチリア)。刺身の甘みに香ばしさのニュアンスもあるイタリアの白が、爽やかに寄り添った。

ワインのペアリングを担当した、滋賀県守山市のヴァンナチュール(自然派ワイン)を専門とするAZURE BLUEの佐々木拓哉さん(左)

「ヨーロッパの内陸部では、淡水魚が食べられているし、その料理はもちろんその地のワインと合わせて楽しまれています。今回は、ともに長い歴史のあるワインと淡水魚の料理と合わせてみました」と佐々木さん。

子持ち鮎の杉板焼きと、ラファエル・レイボワ『カルマ・オレ』(2022年 白(オレンジ)フランス コート・デュ・ローヌ) 炭の香りに、ワインの柑橘の香りが心地よい
酒肴4種を、ドメーヌ・シャモナール『モルゴン』(2018年 赤 フランス ボジョレー)の深みのある赤で。スッポンの肝、コイのマリネ・ココナツ、ドライトマト添え、フナのなめろう、ビワマスなどからつくった塩辛とイチジク

ふなずしの老舗の後継が、京料理を修業。湖魚料理に挑む

「湖舟」は、半世紀の歴史を刻むふなずしの老舗「至誠庵」の食事処。石山寺参詣の人にしじみ飯を出す門前茶屋だったが、跡継の井上兄弟の弟の井上水晴(みはる)さんが料理を学び、京都の名店・菊乃井で7年間の修業を積んだ。それ以来、経営を担当する兄の貫太さんと、地元の魚介のメニューの充実をはかっている。3年前から品書きにうなぎと、スッポン仕立てのうなしゃぶのコース、湖魚の刺身の単品メニューを加えた。うなしゃぶコースにも珍しい湖魚の刺身、自家製のふなずしがつく。気軽に琵琶湖の幸を堪能できる、貴重な店となっている。

ふなずしの老舗「至誠庵」の自慢の子持ちふなずし、井上さんの創作、近江牛のなれずし、天然ウナギのなれずし。熟成のきいたセバスチャン・リフォー『レ・カルトロン・ルージュ』(2010年 赤 フランス ロワール サンセール)を合わせた

漁師と料理人とのタッグで向上させてきた、湖魚のクオリティ

淡水魚には「生臭い、泥臭い」というネガティブな評判がつきものだった。料理方法も、酢味噌を添えた鯉の洗いや甘露煮など、臭み消しが意図されていた。

左は骨が柔らかく身がみずみずしいニゴロブナ、真ん中はコイ、右は黄色いフナ

「季節によっては琵琶湖の水の臭みが感じられることもありますが、それは、寝かして酢で締めるなどの手当をして、欠点も旨みの強さに変えてゆくことができると思います」と井上さん。

料理法の開拓だけでなく、湖魚自体のクオリティも向上している。「臭い」と言われた時代から琵琶湖の水質もよくなり、漁師も、活けじめなど鮮度を保つための処理技術を身につけて、繊細な料理に使える魚を提供している。

寒くなると身が締まり、脂も乗ってくる

今回のコースのように、刺身や淡白な味の料理でいただく湖魚は、清らかで甘く、ほろほろとした食感が際立つ。磯の香りに邪魔されていない、これがピュアな魚の旨みと甘みだろうか。淡水魚が生臭い、という先入観から、この絶味を体験しないのは、至極もったいない。

もちろん、湖魚を料理に使うには、まだまだ苦労も多い。何よりのネックが漁獲と流通が不安定、不十分なことだ。

昭和30年頃には琵琶湖の漁獲は1万トン前後あったといわれるが、平成29年には713トンにまで減少した。昭和初期、京都で流通する魚はほとんどが淡水魚で、海の魚は「外もの」と呼ばれていた。昭和の終わりごろまで京都や滋賀の商店街には、必ず川魚の専門店があった。その流通が失われた現在では、料理人は漁師と直接やりとりしながら、魚を確保するほかはない。 

店の生簀にいた天然ウナギとフナ。漁師さんとのタッグで、希少な魚を確保する

 しかし、そんなハンディもまた、井上さんはポジティブにとらえている。

「その日に、どこの漁師さんから何が手に入るかわからない。その出会いが楽しいんです。獲れたものでメニューを考えるのも、面白い」

湖魚料理に挑戦する料理人が少ない中、生まれ育った地元で、未踏の料理ジャンルを拓くこと。料理人にとって、これほどやりがいのあることはないだろう。

イサザと焼きナス、ごぼうの柳川風。イサザはハゼの一種で、琵琶湖の固有種で希少な魚

イサザや天然シジミといった希少な魚介も登場し、コースの締めは、自信作・スッポンのリゾット。

すっぽんのリゾット

デザートは、ふなずしの飯をアクセントにしたマカロンだった。 

ふなずしの飯の発酵由来の酸味と旨みをアクセントにしたマカロン

地域固有の味覚がテロワールとして再評価される流れの中で、日本一の湖の魚は、美食界最後の秘境かもしれない。そのポテンシャルに光を当てる実験的な試みでもある、この「湖魚の会」は、次回は10月20日(金)。今後、月に一回開催される予定だ。 

井上水晴さん(中央)、菊乃井時代の同僚だった飯野陸さん(左)、大門祐次さん(右)が一緒に厨房に立ち、湖魚料理を開拓する