文=松原孝臣 撮影=積紫乃

インストラクターとして活動

 選手として、プロスケーターとしてフィギュアスケートとして活躍。変わらず多方面で活動する中、八木沼純子にはもう1つの肩書が加わっている。

「今、インストラクターとして神宮のリンクで氷の上に立たせていただいてますけれども、まさかその道に入ることになるとは。自分でもびっくりしています」

 インストラクター、つまりは指導する立場にある。

「始めたのはコロナ禍の少し前ですね。所属しているリンクには見習い期間があって、それが終わってから正式なインストラクターとしてリンクに立てます。見習い期間を入れると4年目ということになるのでしょうか」

 きっかけは恩師にあった。

「私の師匠でありスケートの先生でもある福原美和先生から打診がありました。プロで滑っている頃から何度かいただいていたんですけれど、プロとして滑るのと教えるのと両方は難しいと思い、見送る形になっていました。4年前にもう一度打診があって、これが最後のチャンスかもしれないと思ったので『やってみます』とお話しを受けました。

 今、私が担当しているのは私の生徒として個人的にみているスケーター達と、お教室が3コマです。そのほかに例えば夏休みや冬休みスケート教室や、スケート場のHPを覗いていただくとどなたでもレッスンが取れる『ウェブレッスン』というのがありまして、神宮のサイトから個人レッスンを申し込むことができます。そのレッスンは下が4歳から上は70代まで、いろいろな方がいます」

 さらに早稲田大学フィギュアスケート部でも指導に携わる。

 その長いキャリアの中で、常にフィギュアスケートがあった。その変化も体感しつつ、見てきた。選手が国際大会などで残す成績、フィギュアスケートへの関心も大きく伸びた。

 成績面の向上については、例えば、「新人発掘の合宿が大きかったんじゃないかと思います」と語る。

「長野オリンピックが開催されるということで1992年から始まったものですが、新たに小学生から中学生の子どもたちを発掘してチャンスを与えていく、そうしたシステムを作ったのも大きかったですね。海外のスケーターを呼んで先生役としてエッジワークやジャンプなどの指導にあたってもらったり、トレーニングの先生や表現の先生も入れて子どもたちにいろいろなものを体験してもらう。貴重な場だったと思います」

 そして別の要因もあげる。