1980年代を代表するストリート・アーティストであり、HIV・エイズ予防啓発運動や児童福祉活動に力を注いだことでも知られるキース・ヘリング。大規模個展「キース・ヘリング展 アートをストリートへ」が森アーツセンターギャラリーで始まった。

文=川岸 徹 撮影=JBpress autograph編集部

「キース・ヘリング展 アートをストリートへ」展示風景

混沌とするニューヨークで才能が開花

「世界一危険な街」と呼ばれていた1980年代のニューヨーク。人々は長引く不況にあえぎ、タイムズ・スクエア周辺にはひったくりやドラッグの売人が跋扈。白昼のストリートで銃撃事件が発生することも珍しくなかった。ニューヨークの地下にはホームレスや逃亡中の犯罪者、ドラッグ中毒やアルコール依存症の患者らが住み着き、地下鉄のトンネルや下水道などの地下空間には多い時で5000人もの人が生活していたという。

 ドラッグや暴力、貧困が蔓延する一方で、街には不思議とパワーがあふれていた。クラブには連日連夜人々が集い、時代を担う新しい音楽ジャンルとしてヒップホップが台頭。ストリート・アートも隆盛を極め、グラフィティ(落書き)がビルの壁や路上を埋め尽くした。

 そんな80年代のニューヨークで、ひとりのアーティストが才能を開花させ、時代を代表するスターになった。彼の名はキース・ヘリングという。

 

アートはみんなのためのもの

 1978年、キース・へリングはペンシルベニア州ピッツバーグからニューヨークへ移り住み、アーティストの登竜門として名高い「スクール・オブ・ビジュアル・アーツ」に入学。絵画、映像、インスタレーションなど多様な美術表現を学ぶが、へリングは美術館や画廊で作品を発表するような“お決まり”の美術家になりたいとは思わなかった。

 へリングが望んだのは、人種や階級、性別、職業に関係なく、いろいろな人に作品を見てもらえるアーティスト。混沌とする社会へ強いメッセージを発信し、人類の未来と希望を若者や子供たちに託したい。そのためにへリングは、公共の場に自分のアートを拡散させたいと考えたのだ。

 作品発表の場を模索するへリング。1981年、彼はついにひとつの場を見出した。ニューヨークの地下鉄駅構内。その広告版に絵を描けば、駅を行き交う何万人もの人々に自分の作品を見てもらえるはずだ。