印象派を代表する画家クロード・モネ。日本初公開の大作《昼食》や《積みわら》《睡蓮》といった「連作」の名品を紹介する展覧会「モネ 連作の情景」が上野の森美術館でスタートした。
文=川岸 徹 撮影=JBpress autograph編集部
印象派とは何か?
今でこそ西洋絵画の基本のように親しまれている「印象派」。だが、彼らの登場は美術のあり方を大きく変える「革命」だった。
印象派が誕生したのは19世紀半ばのフランス。当時、フランスの美術界はアカデミーとサロン(官展)に牛耳られており、従来の伝統や格式からはみ出した作品を美術とは認めなかった。フランス、とくにパリは近代化を果たしながらも、絵画の主役は依然として聖書や神話の世界を主題にした歴史画(物語画)だったのである。
そうした状況下で、若い画家たちはジレンマを抱えた。「既存のルールに縛られずに、新しいテーマや表現にチャレンジしたい」という思い。だが同時に、「サロンに認められなければ、画家としては生きていけない」ことも分かっていた。彼らは自身の作品をサロンに出品したが、ことごとく落選してしまう。
だが、若い画家たちは諦めない。モネ、ルノワール、ドガ、ピサロらは一致団結し、自分たちの手で展覧会を開くことを決意。そして1874年4月15日、「画家、彫刻家、版画家などによる共同出資会社の第1回展」が開幕した。
会場には30名の画家による165点の作品が並んだ。モネは9点を出品し、その中には《印象、日の出》も含まれていた。この作品名から「印象派」というグループ名が生まれ、彼らが開いた展覧会は「第1回印象派展」と呼ばれるようになった。その後、印象派展は1886年まで8回にわたって開催されている。
サロン画家を目指した若きモネ
印象派の画家でとりわけ人気が高いモネ。ルノワールも印象派を代表する画家だが、彼が人物画を得意としたのに対し、モネは風景画が中心。親しみやすさという点で日本での人気はモネが上だと感じる。
そんなモネの作品を集めた展覧会「モネ 連作の情景」が東京・上野の森美術館で開幕した。出品されているのは国内外の美術館40館以上から集めた60点以上のモネ作品。タイトルにある通り、モネの代表的モチーフである「睡蓮」や「積みわら」などを描いた“連作”に焦点が当てられているが、見どころはそれだけではない。というより、まずは展覧会の冒頭に飾られた「印象派以前のモネ」の作品に見惚れてしまった。
フランクフルトにあるシュテーデル美術館が所蔵し、本展が初来日となる《昼食》。モネには珍しい大画面の室内画で、母親と子供の食事風景が描かれている。母親は後にモネの妻となるカミーユ、子供は当時1歳半だった長男ジャン。嬉しそうにスプーンを持つジャンと、息子を見守るカミーユの表情が幸福感いっぱいだ。
母子が昼食をとる傍らで、窓辺に立つ訪問客と部屋の様子をうかがう使用人は黒服に身を包んでいる。この黒の色合いが実にいい。黒一色の中に、ニュアンスに富んだ様々な黒がある。これぞまさに“色彩のある黒”。モネは黒色の使い方を兄貴分のマネから学んだのか、ベラスケスやゴヤなどのスペイン絵画から習得したのか。印象派のイメージが強いモネの見方が変わる名品だ。
モネ自身も出来に満足し、《昼食》をサロンに出品。だが、落選。その理由は「歴史画に使われるべき大画面に卑俗な日常を描いたため」といわれている。サロンは伝統を守るというより、難癖を付けるのが仕事なのか? ともあれ、落選してよかった。落選しなければ、印象派の誕生はなかったかもしれない。
「印象派以前のモネ」には、ほかにも心惹かれる作品が目白押し。《昼食》と同様に黒の表現に目を見張る《グルテ・ファン・ド・シュタート嬢の肖像》、変わりゆくパリの風景を細かく描き込んだ《ルーヴル河岸》、浮世絵のような大胆な構図を取り入れた《ザーンダムの港》。印象派のモネは素晴らしいが、印象派以前のモネだって素晴らしい。