名器ストラディヴァリウスをめぐる、メルヘンのようなストーリー
音楽関連で紹介する2冊目の文庫初出のミステリー『バイオリン狂騒曲』は、「もしかしてメルヘン?」といいたくなるような設定がとても楽しい。プランテーションで奴隷として働き、使い捨てされないようご主人様を楽しませる音楽の腕を磨き、解放奴隷として1930年代に死んだ主人公の高祖父が陰の主人公と言いたくなるような1作だ。
主人公はノースカロライナ出身の黒人青年レイ・マクミリアン。権威ある世界三大音楽コンクールの一つで、4年に一度開催されるチャイコフスキーコンクールまであと1カ月と迫った段階で、恋人のヴィオラ奏者ニコルと滞在していたニューヨークのホテルから、大切な楽器ストラディヴァリウスが忽然と消える。ヴァイオリンケースの中には暗号通貨売買アプリから500万ドル分のビットコインを送れとの脅迫状が入っていた。
レイのようなまだ何者でもない一介の青年が、なぜ世界に600丁ほどしか現存しないとされるヴァイオリンの名器ストラディヴァリウスを所有しているのか。警察や保険会社に対して、レイが「犯人はぼくの家族かマークス家の人間です」と断定するのはどうしてなのか?
この一部に続き、第二部は時計を巻き戻した6年前に遡る。ハイスクールの最終学年であるレイはヴァイオリンを弾くのが大好き。でも級友達のように、自前のヴァイオリンを持っているわけでもなく、個人レッスンを受けているわけでもない。母がシングルマザーで、8歳の双子のきょうだいがいるレイの家は豊かではない。母は早く職について家にカネを入れろとレイをせっつく。
レイには大好きなことがもう一つある。車に8時間揺られて行くジョージア州の「ノラばあちゃん」に会うことだ。ノラばあちゃんはいつもレイに優しい。お気に入りの孫と公言してはばからない。
ノラばあちゃんは子供の頃、解放奴隷だったじいじがフィドル(ヴァイオリンの俗称)を弾いてくれるのが楽しみだった。でも、自分の父親も、自分の子供達も、誰もフィドルを習おうとはしなかった。だから孫のレイが、フィドルをやるのが嬉しくてたまらないのだ。
じいじのフィドルは持ち手がとれかけたアリゲーターの革のケースに入って、屋根裏にあるはずだと言う。感謝祭の間、埃まみれになって探すも見つからなかったそのフォドルが、クリスマスの夜ノラばあちゃんの手によってレイに贈られる。
この贈与に反対する母やおじおば達。ノラばあちゃんは自分の子供達に向かって、一家の最長老の威厳をもってこう一喝する。「おまえたち全員にヴァイオリンを習わせようとした。だけど誰もやろうとしなかった。フィドルはあたしのものなんだから、あたしが気に入った相手にやる。おまえたちに文句は言わせない」
黒人の尊厳の持ち方と音楽への情熱が、光の粒のように広がる
こうして90年近く放置されたていた代物ながら、自前のヴァイオリンを手に入れたレイは、地域オーケストラのオーディションで彼の才能に目を留めた唯一の黒人審査員、マーカム大学でヴァイオリンの准教授をしているジャニス・スティーヴンズ博士の支援を受け大学に進学する。ヴァイオリンの音を雑音扱いし、カネにもならない音楽を学ぼうとする息子の愚行にむかっ腹をたてる母を押し切って。
ここまで書けば、もうどなたでもストラディヴァリウスの由来は想像がつくことだろう。そう、あのテレビ番組「開運!なんでも鑑定団」の面白さである。貧しい黒人が奨学金を得て大学に進学、才能を磨き、チャイコフスキーコンクールに挑戦する準備の最中、クレンジングで世紀のお宝が発見される。
お宝は強欲を呼ぶ。白人プランテーション経営者の子孫(これがマークス家)が起こす返還要求裁判、母を含めたおじやおば達が言い立てる「売却―遺産分配」の主張。盗難で身代金まで要求されているレイは四面楚歌の中、モスクワに乗り込み、唯一の黒人コンテスタントとして、英才教育を受けた富裕層コンテスタントと熾烈な優勝争いを繰り広げる。身代金を調達するためのクラウドファンディングもやりながら。
こういった派手な筋立ての一方で、本書の底に流れるのは黒人差別への悲痛なうめき声だ。高校時代、屋外結婚式で演奏するアルバイトのために訪れた白人の邸宅で投げられた侮蔑の言葉、レンタカーでリサイタルに向かう途中、バトン・ルージュの警察にいいがかりをつけられ、銃を突きつけられ手錠をかけられてぶち込まれる留置所。ボストンではマークス家のストーカー的兄妹が被害者ぶる小芝居で、またしても警官に手錠をかけられ、「肌のいちばん黒いやつが悪人に決まっている」と決めつけられる。
小説には、主人公の物理的な旅を書くプロットと、主人公の感情的な旅を書くストーリーがあるが、本書の魅力は、お宝発見から巻き起こる強欲騒動というプロット部分の派手さと、ブラックライブズマターなどで知られる黒人達の痛苦を描くストーリー部分の切実さが、実にバランスよく描かれているところにある。ノラばあちゃんから教わった黒人の尊厳の持ち方と音楽への情熱がそれらを串刺しにして、ある種の清らかさが光の粒のように広がっているのも印象的だ。
レイがジャズに関心を示すシーンがある。彼がお手本にするミュージシャンはイタリア系フランス人のジャズ・ヴァイオリニスト、ステファン・グラッペリ。「あのフランス人がいったん捨てたフレーズを拾って発展させるときの、上品で力の抜けたリラックスした感じは、クールでいながら、ものすごくボルテージがあがっている」と。
よっ! 同好の士。
今はなんでもユーチューブで検索したら出てくる時代。『パリの空の下ジャズは流れる』に戻れば、鞭のようなしなやかさでジョセフィン・ベーカーが踊っている1927年のフィルム(8ミリ?)まであったのには驚いた。
ジャンゴ・ラインハルトとステファン・グラッペリの共演も絶品。この2冊をベースに、秋の夜長、ユーチューブでジャズやクラシックに触れる旅をしてみてはいかが?