ヤン・ファン・エイクの肖像画

《赤いターバンの男》1433年 油彩・板 33.1×25.9cm ロンドン、ナショナル・ギャラリー

 最後に肖像画を紹介しましょう。自画像である《赤いターバンの男》(1433年)は鏡を見ながら描いた作品で、目の虹彩は工学的な正確さで描かれています。銘文には「おのれの能(あた)う限り」と画家の絵に対する精神が伺えます。

《マルガレーテ・ファン・エイクの肖像》1439年 油彩・板 32.6×25.8cm ブリュージュ、フルーニンゲ美術館

 また妻を描いた《マルガレーテ・ファン・エイクの肖像》(1439年)では、《アルノルフィーニ夫妻の肖像》の女性と同じく、既婚女性の髪型をしています。目や頬の表現が素晴らしい作品です。

《ニッコロ・アルベルガティの肖像》1435年頃 油彩・板 34.1×27.3cm ウィーン、美術史美術館

 枢機卿として教皇の外交使節として活躍したニッコロ・アルベルガティを描いた《ニッコロ・アルベルガティの肖像》(1435年頃)は、素描が残っています。素描の段階で表情や人物の品質を鋭い観察眼で描き、みごとに表現していることに驚きます。白髪が混じっている顎髭、首や目尻のシワ、目の上のたるみなど、年齢に伴う描写も絶妙です。

《ニッコロ・アルベルガティの肖像(素描)》1435年頃 銀尖筆 21.2×18cm ドレスデン、国立銅版画室

 いずれも北方特有で、レオナルド・ダ・ヴィンチが取り入れた、正面からやや斜めを向いた「四分の三正面図」になっています。

 以上、紹介してきたように「指先に頭脳がある」とまでいわれる初期フランドル絵画を代表するヤン・ファン・エイクは、虫眼鏡と極細の筆で絵具を何層にも重ね、気が遠くなるほど精緻に描き上げる画家でした。しかし、最近の研究で全てを細密に描いているのではないことがわかりました。

《アルノルフィーニ夫妻の肖像》(部分)1434年 油彩・板 ロンドン、ナショナル・ギャラリー

《アルノルフィーニ夫妻の肖像》の凸面鏡の近くにあるロザリオと椅子の席かけられている刷毛を高倍速マイクロ写真で撮ったところ、かなり大雑把で、ロザリオの珠も歪み、光も絵具をぽたりと落としただけでした。刷毛の先は顔料を筆の絵の先で引っ掻く「スグラッフィート」という描法を用いていました。さらに犬のお腹の下は、指で絵具をこすった跡がありました。あたかも写実的に見えるように、このような自由闊達で斬新なテクニックも駆使していたのです。

 ヤン・ファン・エイクについては未だ解明されていないことが多く謎めいた画家であるからこそ、今もなお観る者を虜にし続けるのだと思います。

 

参考文献:
『名画への旅 第9巻 北方に花ひらく 北方ルネサンスⅠ』高野禎子・小林典子・小池寿子・西野嘉章・高橋達史・神原正明/監修(講談社)
『西洋絵画の巨匠12 ファン・エイク』元木幸一/著(小学館)
『西洋美術の歴史5 ルネサンスII 北方の覚醒、自意識と自然表現』秋山聰・小佐野重利・北澤洋子・小池寿子・小林典子/著 (中央公論新社)
『ファン・エイク全作品』前川誠郎/編著(中央公論新社)
『名画の読解力』田中久美子/監修(エムディエヌコーポレーション) 他