ソチオリンピックでは団体戦、個人戦に出場

2014年02月、ソチオリンピック、フィギュア団体でSPを演じるペアの高橋成美・木原龍一 写真=アフロ

 高橋はペアのキャリアを重ねてきて、木原はシングルの経験しかない。

「ギャップはもちろんありました。ただ、マーヴィン・トランと組んだときも、彼はペアをするのは初めてだったので、なんとかなるという自信はありました。龍一も、頑張れる人だと信じていたし、実際、頑張っていました」

 ソチオリンピックを考えると、時間はなかった。アメリカ・デトロイトを拠点とした2人は2013年9月、出場枠を懸けたネーベルホルン杯に臨む。自力での確保はできなかったものの、枠を返上した国があって出場権を確保する。

 オリンピックでは団体戦、個人戦双方に出場。そこでの感想は、結成してしゃにむに進んできたからこその言葉であるようだった。

「決して夢のような体験ではなかったですね。一過程という感覚でした。ソチの後に世界選手権が控えていて、当時まだダブルツイストしかできていなかったので世界選手権でトリプルツイストをやろうという目標がありました。そのためペア競技が終わったらすぐにデトロイトに戻り練習していました。龍一ともやっぱり、この大会より次の大会ではうまくなっていることを目標にしていたので」

 懸命に進んでいた2人だったが、その翌シーズンをもってペアを解消した。

 そこについては多くを語らない。

「私が龍一の確実なジャンプについていけず失敗して足を引っ張っているのが申し訳なかったり、龍一は龍一で力がない、トリプルやったのがダブルで申し訳ないと言ったり、時間を重ねるごとにだんだん、2人で申し訳ない、申し訳ないという気持ちが増えてきましたね。龍一も成績が出せないことに悩んでいましたし、私自身もどういう風に進んでいくのか、学校もおろそかにしているし考えてもいました」

 そしてこのように表す。

「そのあと私もスケートをやめなかったし、龍一もやめなかったし、なにか同じような気持ちだったのかなと思います。やっぱりお互いにスケートが好きですし」

 その後、木原は須崎海羽と、高橋はロシアの選手を経て柴田嶺ペアを結成し、それぞれに競技に取り組んだ。

 高橋には2017-2018年のある大会でのやりとりが記憶に焼き付いている。

「お互いにぺアを組んでいてライバルだった時期ですが、同じ試合に出たときに話をしたことがあります。当時、お互いに未熟だった部分があって、今考えたらほんとうに申し訳ないね、ということをお互いに言って、涙を流しながらハグをしたのはよく覚えています」

 そのシーズン終了とともに高橋は引退を表明。

 新たな道に踏み出すことになった高橋は、三浦と木原をどうみつめているのか。自身の未来を今、どう思い描いているのか。(続く)

 

高橋成美(たかはしなるみ)
3歳でスケートを始める。小学4年生のとき父の転勤に伴い中国へ。当地でペアを始める。2008年から2014年にかけて全日本選手権で優勝。2011-2012シーズンにはグランプリファイナルに日本のペアとして初めて進出、世界選手権では日本ペア初の表彰台となる銅メダルを獲得。2014年、ソチオリンピックに出場。2018年3月に引退したあとはテレビの大会中継時の解説を務めるほか、日本オリンピック委員会理事、さらにはタレントとしてバラエティ番組に出演や演技の仕事など幅広く活躍を続ける。