家康との再会
家康は天文16年、6歳のときに織田方の人質となり、8歳のときに松平家当主として、野村萬斎演じる今川義元の庇護のもと、尾張国から駿河国駿府(静岡市)に移った(小川雄・柴裕之編著『図説 徳川家康と家臣団』)。
そして、ドラマでも描かれたように、永禄3年(1560)、桶狭間の戦いにおいて、家康は今川義元から、大高城(愛知県名古屋市)への兵粮搬入を命じられ、見事に成功した。
一説によれば、家康はこの直前、阿久比の久松家を訪れ、於大に再会したという。於大33歳、家康19歳のときのことである。
もし、真実ならば、十数年ぶりの親子の再会に、於大も家康も、さぞかし胸が熱くなっただろう。
久松松平家の誕生
桶狭間の戦いで今川義元が討死すると、本領の三河国岡崎(愛知県岡崎市)に戻り、岡崎城に入った。
翌永禄4年(1561)、家康は今川に反旗を翻す。この年、於大と長家は岡崎城に入り、城内の警備を担ったという(戸田純蔵『徳川家康の生母 於大の方の一生』)。
永禄5年(1562)2月、久松長家は家康麾下の部将として、今川方の上之郷城(愛知県蒲郡市)の攻撃に加わり、戦功をあげた。
城主の野間口徹が演じた鵜殿長照は戦死し(ドラマでは自害)、長家は家康から上之郷城を与えられた。
長家は、於大や子息・子女とともに、上之郷城に居を移したという(柴裕之『青年家康』)。
また於大と長家の三人の子息・久松康元・勝俊・定勝は、家康から松平の名字を授与された。
新たな松平一族「久松松平家」の誕生である。
家康は康元を重用した。