ヘルスケアのイノベーション創出に向けたトレンドと取り組みを紹介するオンラインカンファレンス「CHUGAI INNOVATION DAY 2022」が2日間にわたって開催された。2日目のテーマは「DIGITAL INNOVATION」。セッション3では、VRを活用した医学教育・手術支援、デジタル治療などの先端事例を紹介。デジタルアーキテクトの専門家を加え、メタバース、Web3.0の状況を俯瞰しながら、これらのテクノロジーのヘルスケアにおける可能性や課題をひも解く。

Web3.0時代のメタバースの現在と未来

 1つ目のプレゼンテーションでは、一般社団法人Metaverse Japan代表理事の馬渕邦美氏が、Web3、メタバースの全体像を俯瞰した。

 Web1ではサーバーを介したPC同士のやりとりでデータの「閲覧」が、Web2ではSNSを通してスマートフォンで誰もが発信し「情報交換」が可能になった。そしてWeb3は、ブロックチェーン技術によって価値を所有し、メタバースの世界で「価値交換」が可能になる時代だ。生活の舞台はリアルからバーチャルへと動いてきている。

 メタバースは、「VR SNS」「Web3メタバース」「デジタルツイン」といった概念を束ねる言葉だ。例えば、VR SNSは「渋谷5Gエンターテイメントプロジェクト」のように、VRゴーグル、PC、スマートフォンを通して「バーチャル渋谷」という空間で交流できるといったものだ。ただし、馬渕氏は「携帯電話が、2008年にiPhoneが登場するまでにその形態を大きく変えてきたように、メタバースも今後、全く違う形に進化していく可能性があります」と補足する。実際にメタバースは、医療ヘルスケアへの応用、教育分野、マーケティング、デジタルツインを使った生産など、進化を始めている。

 メタバースの構成要素は、VRグラスなどの「Experience」をはじめ「Economy」「Digital Identity」「Software & Platforms」「Infrastructure」の5層に分かれている。「どの層も十分に大きなビジネスになり、日本の勝ち筋につながる可能性があります」と馬渕氏。「Web2では輝けなかった日本が、Web3の世界で輝くために、何が必要なのかを本日のセッションを通して考えていきたいと思います」と語った。

医療でのXR、メタバース実践事例と展望

 2つ目のプレゼンテーションでは、Holoeyes 取締役CTOの谷口直嗣氏が、XR、メタバースを医療へ応用した開発事例を紹介した

 ゲーム開発から出発し、3Dプログラミングを軸に、技術を水平展開する形でヘルスケアに参画した谷口氏。頭蓋骨の中に入る医療VRを開発し、2016年にHoloeyesを創業。臨床医療、医療教育のためのVRソフトウエアを提供している。

 例えば、VRによる肝臓・すい臓がんの手術支援では、複雑な付近の血管の3Dホログラムを術前に見ることで、手術の精度を上げる。肝臓の中に入ってのシミュレーションも可能だ。また、腎臓結石の手術では、背中に穴を開ける必要があるが、どこの位置に開けるかをVR空間上で確認することができる。

 メタバースの活用では、遠隔カンファレンスの事例がある。例えば、メタバース空間で会場と歯科医院をつないで、歯科インプラントの実習を行うことができる。教育サービスとしては、スマートフォンで3Dで解剖を学べるVRアプリをつくった。VRの簡易的なモーションキャプチャで、講師が解説する線を引いたり、説明を録音することができる。将来的には、メタバース空間での講義も可能になるという。

 今後は、同社に蓄積された臨床データを、教育、トレーニング等に利活用していくという。「医療領域、教育領域から、患者領域まで、ビジネスを広げていきたい」と語る谷口氏。最後にWeb3に関するアイデアに言及した。

 例えば、ブロックチェーン上の分散型自律組織であるDAO(Decentralized Autonomous Organization)をヘルスケア領域に拡張し、「病院DAO」をつくる。患者が組織に対する権利であるガバナンストークンを持つことで、病院の運営にコミットする世界ができるという。さらに、仮想通貨で支払えるヘルスケアサービスを実現すれば、雑所得となる暗号資産の課税部分を健康分野に使うといったことが可能になる。

「ヘルスケア分野のメタバースでは、アバター1つとってもさまざまな解釈ができ、課題も出てきます。これから、とても面白い時代がくると期待しています」と語った。

VRセラピストと人で創る新しい精神科医療の未来

 3つ目のプレゼンテーションには、ジョリーグッド DTx事業部 上級医療統括顧問の蟹江絢子氏が登壇。自身が開発するVRセラピストについて紹介した

 蟹江氏は精神科医として働く傍ら、うつ病や統合失調症に向けてVRやアプリを活用したデジタル治療やツールの開発をしてきた。世界的にエビデンスレベルが高いといわれる認知行動療法は、うつ病、不安症、統合失調症に効果を発揮する。蟹江氏は海外で開発される認知行動療法プログラムを日本向けに開発してきたが、その社会実装に課題を感じてきた。

 厚生労働省の調査によると、日本の精神疾患の外来患者数は年々増加しており、2020年には約389万人に上る。一方、精神科医は約1万6000人で、単純計算すると精神科医1人につき、患者は250人。患者1人当たりの最大診療時間は約8分というデータもある。1回に1時間程度が必要な認知行動療法のプログラムは、日本の精神科医療の現状では実施できない。そこで、蟹江氏はVRセラピストの開発に取り組んだ。

 認知行動療法は1週間に1回、1時間程度を3、4カ月続ける。その内容は①導入、②問題を明確にする、③問題に取り組むスキルを学ぶ、④問題に取り組む、⑤終結という5つのステップから成る。このうち実施側の知識の習得とトレーニングを必要とする③をVRセラピストに担わせ、④をワークシートに記入する形で自動化する。一方で、共感や動機づけはリアルなセラピストが行う。VRセラピストと人の協業で、多くの人に行動療法プログラムを届ける。

 統合失調症向けソーシャルスキルトレーニング「FACEDUO(フェイスデュオ)」は、VRセラピストとリアルのセラピストが交互に進行する。患者はVRゴーグルをつけ、プログラムのための理想の空間をイメージしたVR空間で、プログラムを受けることができる。

「心理プログラムを必要とする患者さんに、十分に提供していける世の中にしたいと思います。そのためにはVRセラピストと人の協業が重要です」と蟹江氏は語った。

ヘルスケア・製薬産業におけるWeb3.0、メタバース活用の可能性

 4つ目のプレゼンテーションには、中外製薬 上席執行役員 デジタルトランスフォーメーションユニット長の志済聡子氏が登壇。製薬産業におけるWeb3.0、メタバース活用について述べた。

 同社は2030年を見据えた「TOP I 2030」という成長戦略を描き、「R&Dアウトプット倍増」「自社グローバル品毎年上市」という目標を掲げる。そのためのキードライバーとしてDXを位置付け、「CHUGAI DIGITAL VISION 2030」を策定。「革新的な新薬創出」「全てのバリューチェーンの効率化」「デジタル基盤の強化」を3本の柱として改革を進める。

 新薬創出にはAI、RWD、デジタルバイオマーカーの活用など。バリューチェーンの効率化には、治験、製薬、スマートプラント、顧客インターフェースへのデジタル活用など。そしてデジタル基盤には、IT基盤に加えて人材育成、さまざまなラボの取り組みを据える。

 同社はWeb3.0を「データの主権、組織・コミュニティ、価値創造の空間の在り方を変え、“個”が主役になる世界を実現するもの」と位置付ける。その中で、ヘルスケアの領域では、患者、医療者、ヘルスケア企業、研究者・専門人材という4つのプレーヤーに、それぞれ新たな価値が生まれるという。データの主権は患者に移り、医療者や研究者のコミュニティが、より分散的に垣根を越えて生まれる。ヘルスケア企業は、価値創造の空間を活用して現実世界の制約を超えて、イノベーションを生み出すといったことが期待される。

 ユースケースとしては、患者DAO、ドクターDAO、治験でのトークン活用、R&Dや製造のデジタルツイン。製薬企業、アカデミア、スタートアップの研究が垣根を越えて価値創造するといったことが考えられる。

 志済氏は同社の目指す姿の実現ロードマップを示し、「フェーズ1では先進的なユースケースをつくり、フェーズ2では適用範囲と成果を拡大し、フェーズ3で新たなヘルスケアを社会実践します。そのために外部とのコラボレーションも積極的に行っていきます」と語った。

「医療情報が個人情報であることから生じる問題、人材不足、権利関係、税制の問題。さまざまな課題はありますが、外部とコラボレーションをしながら、製薬企業としてWeb3.0を積極的に取り組んでいきます」