じゃがいもは、さまざまな料理によく使われる。カレーにシチュー、コロッケ、肉じゃが、ポテトサラダ、フライドポテトなど、挙げれば切りがない。それだけに、老若男女を問わず、私たちがじゃがいもを口にする機会は多い。
一方、世界に目を向けてみても、じゃがいもは主食になる作物として各国・各地で栽培されている。中には、フランス、オランダ、ドイツのように、ビタミンCをはじめ、炭水化物、カリウム、食物繊維など、栄養素を豊富に含むじゃがいもを“大地のリンゴ”と呼ぶ国さえある。
そんなじゃがいもの原産地は南米のアンデスからメキシコにかかる海抜3000~5000mの高原地帯と言われる。日本には1600年ごろ、インドネシアのジャカルタを拠点にしていたオランダ船によって長崎に持ち込まれたという説があるが、食用として本格的な栽培が始まるのは明治時代に入ってからと伝わっている。
いきなり、じゃがいもの話で少々面食らったかもしれないが、今回から始まる連載では、じゃがいもと深く関わりを持ち、じゃがいもを切り離して語ることができない食品メーカーにスポットを当てたいと思っている。なので、そのイントロとして、じゃがいもについて軽く触れたというわけだ。
湖池屋の前身は、おつまみ系の揚げ菓子の製造・販売
さて、今回の連載では日本産のじゃがいもを100%使用し、日本で初めてポテトチップスの量産化に成功した湖池屋を取り上げる。同社の誕生から現在まで、約70年の歩みを振り返ると、幾つかのターニングポイントがあったことに気付く。そのターニングポイントにおけるエピソードを通じ、企業の変化や成長とともに、そこに至るプロセスなど、これらを連載にて紹介できればと考えている。
では、本題に入ろう。湖池屋は今から69年前の1953年に創業する。創業したのは故・小池和夫氏(以下、和夫氏)になるが、現在、代表取締役会長を務める小池孝氏の父に当たる人物だ。
ところで、湖池屋といえば、皆さんも真っ先にポテトチップスをイメージすることと思う。もう一歩踏み込むと、その答えは「ポテトチップス のり塩」になるのではないだろうか。
そんなポテトチップスと和夫氏の出会いは、戦後間もない1948年、郷里の長野県(諏訪市)から和夫氏が上京したことに端を発している。上京した和夫氏は、まだ21歳と若く、甘いものが好物だったこともあり、老舗の甘納豆屋で働くことになる。そして、甘納豆屋で培った販売の経験やスキル、人脈、製品づくりといったノウハウを生かし、上京からわずか5年後の1953年、和夫氏は26歳で独立を果たす。
独立した和夫氏は「お好み揚げ」「えびまん月」といったおつまみ系の揚げ菓子を製造・販売する会社を東京の目白台(文京区)に立ち上げるが、後に、この独立がポテトチップスを製造する上でも大きな糧となる。