ライペリアム エンターテインメント
こんな言葉を耳にしたことがあるだろうか? マンハッタンの西にハドソン川、東にイーストリバーという二つの大きな川があり、長い河岸には緑があり水鳥もいる風景はまさしく街全体が「ライペリアム」(riparium=主に水生植物で小川や湿地周辺の環境を再現する園芸)を思わせる、と。
ニューヨークと言えばデザインコンペのような超高層ビルが林立し、コンクリートと鉄のできた喧騒の街を想像しがちである。しかし住んでみると水辺の景色を楽しめる場所が多くあり、セントラルパークをはじめとする池や噴水のある公園も多くある。そしてそれらは、ボランティアの人たちのおかげで美しく整備されている。
だからこそ市内に公共交通機関としてフェリーという船も存在するのである。フェリーだけでなくニューヨーク州の北部へは物資輸送船バージも大活躍している。この街の風景に水上交通は不可欠である。
数年前、現市長がマンハッタン島の周りで運行していたフェリーボートの会社を市営交通の一部とし、地下鉄やバスと同じ一律料金で乗れることになった。そのためフェリーの船着場がいくつも整備され、マンハッタンだけでなくクイーンズやブルックリンなどにある船着場の周りには高層のアパート群が出現し、地域の再開発の引き金になっている。安さもあって観光シーズンなどは観光船に乗る代わりに、このフェリーを利用し遊覧を楽しんでいる観光客が多くみられる。
このフェリーで毎日通勤する人は、イーストリバー沿いでかなり増えてきている。また、ハドソン川を隔ててニュージャージ―州の街とマンハッタンを結ぶNY Waterwayフェリーも昔から運行され通勤の足である。映画『ハドソン川の奇跡』で不時着した飛行機にいち早く駆けつけて救助活動をしたフェリーボートを記憶している人も多いと思う。
市営のフェリーを乗り継げば、1時間ほどでロングアイランドのファーロッカウェイという夏は海水浴やサーフィンで有名なビーチタウンまで行ける。ちょうど日本からJFKに向かうフライトが、着陸アプローチするため高度を落としていくため海に出るとき眼下に見えるビーチがそれである。
ニューヨーク市を構成する五区の1つのスタテンアイランドは、文字通り島である。この島とマンハッタンを結ぶ無料のスタテンアイランドフェリーも、長い間ニューヨーカーの通勤の足となって活躍している。このフェリーは20分くらいの所要時間であるが、フェリーが自由の女神やその昔移民の人たちが入国・検査や検疫を受けたエリス島のそばを通っているため、知る人ぞ知るの写真スポットである。その当時の光景は、映画『ゴッドファーザ―PART II』に活写されている。
もちろんフェリーには自転車の持ち込みが許されている。市内にはバイシクルレーンを充実してきたので、フェリーと自転車を組み合わせた移動手段ができた。マンハッタンからロングアイランドなどに行く水上飛行機によるフライトサービスや、JFKなどの空港に交通渋滞を避けて川端のヘリポートからヘリコプターで移動するサービスを使う人もいる。
イーストリバーには小さな島がいくつか存在する。ルーズベルトアイランドとランドールズアイランドである。ランドールズアイランドは市民のスポーツイヴェントや様々な催し物に使われ、一方ルーズベルトアイランドは、かつて伝染病の隔離療養施設やホスピスなどがあった。がしかし、再開発された今では世界的企業や大学の研究センターが多くあり、それとともにマンハッタンよりも少し安価なアパート群があり、学校、ショッピングセンターなども整備されて島内で職住を完結している人も多い。
島内では無料の巡回バスが走り、マンハッタンとはトラムというロープウェイが行き交い、クイーンズとは橋で結ばれている。もちろん前述のフェリーの船着場もある。ともすると見過ごしてしまいがちだが、この島の南端にはフランクリン・D・ルーズベルト大統領を記念する公園も整備され、マンハッタンの喧騒をよそに人々がこの公園で水辺の景色を眺めながらのんびりくつろいでいる。
川のある風景は素敵だ。ゆっくり流れる水面を見ると日常の憂さを忘れさせ癒される。川端をカミニート(そぞろ歩き)すると、季節によっては様々な渡り鳥たちが羽を休めている光景に出くわす。また、満潮時には川に海水が上がってくるので釣り糸を垂れる人も多くいる(このことは開高健氏の著作に詳しく描かれている)。
川沿いに作られたプロムナードをジョギングしたり、ランチを食べたり、ヨットやカヌー、ジェットスキーを楽しむ人も多い。自分のボートを横付けして食事ができるレストランもある。人間は胎児のときに母親の羊水の中で育つため、水というものが人に対して鎮静効果があると聞いたことがある。ニューヨーカーは近くにある川を利用するのに長けている。川や運河の多い東京や大阪などの都市もその昔のように今後、公共水上交通を充実させることを考えるのも一計かもしれない。