文・写真=沼田隆一

サミット・ワン ヴァンダービルトがグランドセントラル駅の西にできた。写真の中央にある先のとがった先端を持つビルがそうである。マンハッタンのスカイスクレーパもますます様変わりしていく。またこのビル以外にもグランドセントラル駅の周辺も再開発の予定である

ニューヨークから見たTOKYO2020

 パンデミックのなか、一年遅れで開催された東京オリンピックの猛暑の17日間も終わり、すでに秋の気配が迫っている。思い返してみるとなかなか趣向を凝らしたであろうと思われる開会式や閉会式はアミューズメントパークのイヴェントのように盛りだくさんで、例えると、幕の内BENTOのようであった。IOCにとってVIPクライアントのNBCユニバーサルは高額な放送権料を支払って、関連チャンネルも含め3局で連日放送していた。

 しかしながら太平洋を隔てた遠く日本で行われているイヴェントに関心をもつニューヨーカーは、私の周りにはあまりいなかった。もともと日本のように国を挙げて一つのイヴェントを応援するにはアメリカは広すぎる。また個人の自由が定着しているこの国では、オリンピックは世界のどこかで行われたスポーツのイヴェントの一つでしかなかった。国を挙げてオリンピックを応援するという時代は、すでに終焉となったのだろう。

 また今年は特に、ニューヨークは長い規制の社会生活からワクチン接種が進んでやっと自由を取り戻しつつあった。そんななか、人々は自分たちのヴァケーションをどうするかで頭がいっぱいである。また日々革新が続くインターネットは、人々をテレビから遠ざけている。そのせいか、今回のNBC のオリンピック広告収入は2019年末に10億ドルを超え、過去最大の12.5億ドルになると騒がれていたが、リオの時の視聴率の半分程度に低迷した。その結果を受けてNBCは複数の広告主と今後の無料の広告を提供するなどの補償交渉が行われるとニューヨークタイムス紙は報じている。秋になってもオリンピックビジネスは、まだ後始末がありそうである。

 

やっちゃえば誰も文句は出なくなる?

 そういう私も一日に一回はオリンピック関連の番組を少しは観ていた。日本ではあれほど反対の声が多く、メディアもそういうムードをだしていた開催前とは打って変わって、オリンピック歓迎ムードとも感じるトーンダウンにかわっていった。また、開会式前から感染防止が制御不能になっている世界と、オリンピックが行われている世界の二つが奇妙に同居しているようだった。

 一年も待たされた各国のアスリートたちは、我々には想像できない苦労と葛藤があったと思う。ただでさえ酷暑の日本での競技に自分の体調を合わせようとする一方で、会場の外では開催反対のシュプレヒコールが起きており、彼らは自分たちが参加することをどう思われるかという今までのオリンピックでは考えられない心理状態に置かれていたとも思う。

 日本人は合理的妥協をもった国民であるとのコメントをどこかで見た。そのもとにはお上のすることには最終的に逆らえないという昔からの負の遺産が人々の心に存在する。皮肉な見方をすると、それを政府も委員会も計算済みで中止延期を考えることは初めからなかったかもしれない。

 そんなネガティブなエネルギーが漂うなかでの明るい話題は、”もてなす”文化の日本人がこんな状況であっても個を捨て忍耐をもって、何とか大会を成功させようとしたことだ。日本の民度の高さを具現した。各事前キャンプ地でも歓迎したいと努力する地元の人たちがいた。汗を流し笑顔で対応し続けるスタッフやボランティアの人たちは、猛暑だから外出は控えましょうという気象予報士の言葉とは全く関係ない世界にいた。

 ニューヨークから画像を観ているだけでも同じ日本人として誇らしかった。IOC会長は政治家にオリンピッククロスという勲章を授与したらしいが、もし彼が日本人スタッフやボランティアに授与するとアナウンスしたら、ほんの少しではあるが男を上げたかもしれない。