文・写真=沼田隆一
笑顔も涙もすべて包み込む街
二ューヨークの秋は足早に去っていく。メランコリックな気分にどっぷりとつかる暇もなく冬がやってくるのである。しかし、私にはメル・トーメの歌う“Autumn in New York”がCOVID-19を忘れさせてくれ、いつものニューヨークに逃避させてくれる。この街は人々の痛みも喜びも全部抱擁してくれるのだといまさらながら思う。このコラムがアップされる頃には今までになく激しく、国の品格を貶めるような大統領選挙戦も終わり、人々の気持ちは従来になかった感謝祭の迎え方を考えるのであろうか。
残念ながら小さな個人商店の閉店は増え続け、ファッションの世界でもデザイナー商品の安売りで有名だった大型店舗も倒産に直面し、アメリカの老舗ブランドも身売りの最中。庶民にとってうれしいニュースはなかなか目にしない。また治安の悪化から、日本人が凶悪な犯罪の被害に遭うという事件が連続してマンハッタンで起こった。せっかく1990年代からよくなりかけていたニューヨークの治安に影を落とす。
それでも二ューヨークの街は他の州と違い感染率をかなり低く抑えることに成功しているといえる。感染者が急増する地域や町に限定したロックダウンも功を奏している。市内のレストランもやっと収容人数の25%で室内飲食ができるようになり、テラス席での営業も年中できるようにしたことから冬の厳しいニューヨークに対処するため、レストランのテラス席も改装中のところが多く、屋外用の暖房器具も設置が始まっている。
ニューヨーカーにも秋は来た
今年の秋も前のめりに足早に歩き、この街でサヴァイヴするためにエネルギーを放出しているニューヨーカーのなかにいると、ミュージカル『マイ・フェア・レディ』のラーナー&ロウによる名曲“On the Street Where you Live" (邦題:君住む街角)のように自分の心が長調にチューニングされる。
私も含めニューヨーカーの暮らしぶりを見てみると、必ずしも悲観することばかりではないことに気が付く。子どもたちに何とかハロウィーンを楽しませる方法を模索する大勢の大人たちがいる。週末セントラルパークに行くと、木々は秋の華やかな衣替えをし、リスたちは来る冬のためにドングリをため込んでいる。そして、そこで確かに息づく自然のなかで人々は三密を避けながらも語らい、楽器を演奏したり家族とピクニックをする。
また秋のメランコリックなセントラルパークは、恋人たちをさらにロマンティックにするようである。その昔セントラルパークをつくることを発案した市のプランナーが大反対を受け、それでもこの先きっとこの公園は市民に大きな恩恵をもたらすと情熱的に語ったと聞く。いまどれだけの人がこの公園で、また市内に点在する多くの公園でCOVID-19のさなか、気持ちよく深呼吸ができるかを考えると公園の存在はありがたい。
この街は高層ビルが林立し、ロックダウン解除から再開された高層ビルの建設現場も多い。しかしよく見てみると自然との調和などのコンセプトを取り入れた開発が、以前より多くみられるようになっている気がする。ミートパッキングエリアから始まった再開発は、自然を感じさせるハイラインをつくりハドソン川沿いの公園の整備などが着々と進んでいる。
新しいライフスタイルとカーボンフットプリント
街ではクルマの数はロックダウンの頃に比べればまた増えてきてはいるが、感染を恐れるのか毎日消毒をされていても、公共交通機関を使う人はまだ以前のレベルには戻っていない。リモートで仕事をする人が増え、感染防止の意味からも移動に自転車、電動式キックスクーター、モペッド、スケートボードなどを通勤手段や移動手段として利用する人が増え続けている。
もともとマンハッタンのフードデリバリーは小回りが利く自転車であったし、CITI BIKEという誰もが利用できるレンタサイクルのステーションが街のいたるところにある。COVID-19でさらにレストランと客をつなげるデリバリー会社が軒並みでき、料理の入った大きなバッグを乗せた自転車が縦横無尽にマンハッタンの街を走っている。
COVID-19は確かにニューヨーカーの生活様式を変えた。多くの仕事が毎日オフィスに行かなくてもできるということを実感し、WORK-LIFE BALANCEも今まで以上に考えるようになった。また今までは一部の人しか使わなかった自転車やキックスクーターなどは安心した移動手段として、風を感じながら家にこもりがちな日常から解放してくれる手段としても浸透しているせいか、売り上げも伸びている。
一度はCOVID-19に打ちのめされそうになったニューヨーカーも、これを機に自分たちのライフスタイルを見直そうとするポジティブなエネルギーを感じる。この変わりゆく生活様式は、グリーンハウスガス排出カーボンフットプリントに貢献していくのではないだろうか。いま、つくられている新しい日常でも非可逆的にこのような動きが継続され、将来を振り返ったとき、COVID-19の時期を生きた正の遺産となっていることを願いたい。