写真・文=沼田隆一

マンハッタンのヴァイタル・サイン

 最近、私は夢を見ることが多い。それは昔に読んだアーサー・C・クラークのSF 小説や、星新一のショートショートのいくつかのエピソードに似たものが多い──外気が危険なため、もはや人類は屋内にしか住めなくなり、外出するには完全な防護服が必要となる生活。その果てに一人ひとりの寿命も決められ、最後の日が来ると役人が家のドアをノックする──昔はこの作家の創造力はすごいなぁ、と感心した。

 外出制限令下での暮らしも5週間が過ぎた。外出するにはマスクやバンダナ、スカーフなどで口と鼻を覆うよう指示が出た。そうしないとスーパーマーケットで買い物ができない。商品に触れるさいには、使い捨てのグラブを使っている人が多い。こういった現実のなかにいると、くだんの小説と現実の境目が薄れていく。

外出時のいでたち。高性能マスクは医療機関に寄付されている

 私の住むマンハッタンは、EARTH DAY(4月22日)の今日も静かである。こんな日だからかもしれないが、加速する地球温暖化の影響がこのウィルスのようにいつか人類への脅威として迫ってくるのでは、と考えゾッとしている。ちかごろは、ひっきりなしだった救急車のサイレン音も少しは静かになってきた。が、それ以外の物音は聞こえてこない。

 クラクションの音も24時間際限なく、街はクルマと人とであふれかえり、大音量の叫び声また街の鼓動と思っていた。いまマンハッタンのヴァイタルは静かな波形で推移している。

 

ウィルスと隣り合わせの現実

ニューヨークによくあるブラウン・ストーンのアパート。非常階段にはパソコンに向かい仕事をする住人が見える

 春を待つ冬眠中の動物にも似た感じだ。いや、春はいつ来るのか。感染者数も入院者数も緩やかな下降に入ってきたとはいえ、毎日400人ほどの市民が命を落としていることを冷静に考えると戦慄が走る。

 私は今まで紛争地域などに足を踏み入れているが、これほどの大量の死者が一日に発生する場所に住んだことはない。埋葬などの処理が間に合わない。行き場のないご遺体が冷凍トレーラーに毎日運ばれていく。そんな場所をほかに知らない。いとも簡単に人を死に追いやるウィルスと隣り合わせにいる現実を、毎日飽きることなく反芻している。

 私の住む37階建てのアパートメントハウスは各フロアに5軒の住まいがあるが、近隣者の顔をほとんど見ない。たまにエレベーターに人がいると譲り合ってエレベーター内が混まないようにしている。ビルの保守管理をしている会社から感染者が出た場合のプロトコールが知らされ、ビル内の感染対策を事細かに説明されている。

配達員との接触を防ぐため、アパートのスタッフが住民に代わって受け取る

ニューヨーク州と市の”迅速”で”丁寧”な対応

 しかし、この感染が拡大し始めてからのニューヨーク州とニューヨーク市の対応は早かった。日本とは行政形態や政治風土、法的拘束力の違いがあるのかとも思うが、連邦政府と対策の協議をしながらも州政府、市役所が独自に毎日いろんな施策を発表、実施していく姿は甚だ政治が絡んで動きの鈍い連邦政府の対応に比べ、気持ちのスカッとするものであった。(今までに比べると連邦政府も共和党、民主党の垣根を越えて対応をしていることは事実である)

 毎日開催される州知事、市長のブリーフィングも英語という言語のもつ特性なのか、知事や市長のスピーチ能力なのかもしれないが、「ダメなものはダメ」と歯切れがよい。

 もとより「方向性を持って検討する」といった、解釈のむずかしい言葉では人は動かない街なのである。州知事も市長も毎日約一時間半をブリーフィングに費やし、誰にでもわかる言葉で細部に至るまで説明をしてくれる。質疑応答の時間もたっぷりとある。またそれを、ダイジェストではなく一部始終を放送するテレビ局があり、市や州のウェブサイトではライブ視聴ができる。安心を得られないわけがない。

 ニューヨーク市にある日本国領事館も毎夜、メールにて知事や市長のブリーフィングの要約を送信してくれるし、また、どういうサービスがどこで受けられるのかも日本語で案内してくれる。これら実用的な情報は、在留邦人にとって安心の源泉である。

6フィートの間隔を保つ。マスクなどで口や鼻を覆っていないと商店には入れない

ニューヨーカーは動く、団結、連帯する

 外出制限令が出て2週間目。携帯端末に登録するとニューヨーク市の取り組み、すべてのサービスがわかるメッセージが毎日送られてくる。医療の問題、学校の問題、失業や休業中事業者への救済、DVの問題といった、ありとあらゆる情報が送られてくるシステムが完成された。

 学校もディスタンス・ラーニングを約2週目から始め、端末を持たない家庭にも行きわたるようにした。人々を飢えさせないために、1日3度の食事を提供。23日からのラマダンに合わせハラルフードも用意している。不法移民であっても医療が受けられる。家賃滞納による立ち退きを、少なくとも6月末くらいまではさせないという行政命令。学生ローン支払いの猶予など、いろんな施策を素早く展開した。州も市も制限とその影響を受けることへの、支援の両輪をバランスよくやろうとしている。抗体検査も始めた。

 市内での感染状況を分析すると人種間で差があり、低所得者の多いアフリカ系、ラテン系に感染者が多い。このことは様々な価値観を持つ多くの移民が共生し、所得格差、教育格差などが大きく起因していることを浮き彫りにしている。

 不法移民が多く就労する第一次産業で収穫できない野菜や果物、ミルクなどの廃棄の映像があると、それを何とか食事に困っている人に届くようにと市民が率先して動く。いまはこうした市民の動きが、大きなうねりとなっていることは心強い。

レストランやコーヒーショップもテイクアウトとデリバリーだけの受付

スーパーマーケットやドラッグストア、テイクアウトやデリバリーのお店は、厳格にソーシャルディスタンスを守り、できるだけ人との接触を少なくする努力を行政とともに励行している。私の家の前にあるピザ店は携帯端末から注文し、出来上がったら知らせがありピックアップする。店の前で携帯から「お店の前にいますよ」というボタンを押すと、店の中から手袋とマスクをしたスタッフが店頭にいる私に、封をした商品を渡すというシステムである。

無責任な行動が他者の命を奪うことにもなることを、ニューヨーカーは残酷な代償を払って学んでいる。

 

WE CANNOT BE STUPID

 職を失った人は前代未聞の数である。それでも暴動が起きたとか、犯罪率が増えているという話は今のところ聞かない。スーパーマーケットで爆買いする人も見受けられない。人は外敵攻撃を受けると内部で結束すると人間行動学で習った気がするが、たしかに普段は我先にと自己主張の強いニューヨーカーも心優しくなり、団結、連帯しようとする。

 バスのドライバーに手を振ると振り返してくれ、互い頑張ろうとの意思が通じ合う。毎夕19時には、多くの犠牲者を出しながらも我々を支えてくれている医療従事者をはじめ、警察、消防、交通機関にかかわる人たち、物流、スーパーマーケットなどで頑張ってくれている人たちに、感謝の気持ちをこめて拍手やクラクションを鳴らす。それが勇気と活力となって街に響き渡る。私も窓を開けてベルを鳴らす。

感謝とサポートの気持ちからこのベルを鳴らす

 9.11、ハリケーン・サンディを乗り越えてきたニューヨーカーのダイハードな底力を感じる。日常がいかに大切なものであるのか、今はもう静まり返った街を窓越しに見下ろし痛感している。

 ニューヨークはパスオーバー(過越の祭り)も、イースターも、ラマダンも各自が家で過ごすこととなった。独立記念日(7月4日)は一体どうなっているのであろうか? この戦いはスプリントではなくマラソンである。デ・ブラジオ市長はこれが収束したらニューヨーク市の名物である、花吹雪パレートをすると発表した。経済的に厳しい状況が続くなか、早く制限を緩めることを求める州が多くなってきた。しかし、クオモ州知事によるブリーフィングでの言葉はストレートで心に刺さった。

 

“WE CANNOT BE STUPID.”

“When the freedom they wished for most was freedom from responsibility, then ceased to be free.”(Edward Gibbonの著書”The History of the Decline and Fall of the Roman Empire”からの引用)

 

 私はこの言葉を「われわれは軽率ではいけないし、自由はそれに伴う責任を放棄したとき、自由ではなくなる」と理解した。ニューヨーク州は”EMPIRE STATE”と呼ばれている。こんな状況下であっても「ニューヨーカーである」という矜持を誰も忘れてはいない、と強く思う。