ニューヨークは多様な人種、民族による多様な文化が溶け合う社会──人種のるつぼ(メルティング・ポット)であり、結果、新しい生活文化を形成する大都市である。そして、それこそがニューヨーク最大の魅力と考えられている。が、果たして「溶け合う社会」なのだろうか。ニューヨーク在住30年の筆者は考察する。

文・写真=沼田隆一

ハドソン川を目印に高度を下げると眼下には郊外からマンハッタンにかけての夜景がミルキーウェイのようにきらめく。真ん中を横切る川の上がニュージャージー州、下がマンハッタンだ

マンハッタンは先住民の言葉

 冬に東京からニューヨーク便のシートに身をあずけ12時間ほど経つと、カナダから南にハドソン川に沿って機体は徐々に高度を落としていく。窓からはひと昔前、ロックフェラーやヴァンダービルトが広大な別荘を建て避暑を楽しんだ、アディロンダックが雪化粧している。高度1万フィートまでくると、郊外からつながるいくつものハイウェイがくっきりと目に入る。それはまるで身体に張り巡らされている血管が心臓につながっているようにマンハッタンに引き寄せられている。マンハッタン島のなんとちっぽけなことか。しかし、この島に高層ビルが林立し、その中央にはぽっかりと大きな緑の長方形がある。セントラルパークだ。その先にはニューヨーク湾に小さいが自由の女神も見える。この小さい島を中心に莫大なエネルギーが生まれ、様々なものが創造され、世界に発信されていく。そんな街に世界の人たちは圧倒されつつも、吸い寄せられる。

 かつてニューヨークは”人種のるつぼ”と表現されていた。確かにこの地には、様々な文化的宗教的背景をもった人種が暮らしている。一見するとカオスな社会にも見えるが、暮らしはじめるとやや違って見えはじめる。ニューヨーク市5区(マンハッタン、クイーンズ、ブロンクス。ブルックリン、スタテンアイランド)の人口はおよそ850万人、東京23区の927万人とおなじようなレベルである。人種的な内訳をみると白人が約34%、ヒスパニック系が約29%、アフリカン・アメリカンが約23%、アジア系が約13%である。もともとこの地に住んでいたアメリカ先住民系は1%に満たない。横道にそれるが、ニューヨークにはその郊外も含めアメリカ先住民の言葉が地名に数多くみられる。代表的な例はマンハッタンである。

 さて、アジア系の内訳はどうなっているのであろうか? アジア系全体で100万人を超えるが、これは2000年以降に中国本土からの移民が大きな伸びを示したことが要因にある。それに比べ日系は0.3%とわずかである。

マンハッタン島の真ん中に大きく鎮座するセントラルパーク。その昔ゴミの集積地にもなっていた場所が当時のシティ―プランナーが狂気の沙汰と非難を受けながらも、きっと未来にはここで人が憩うことになるとの信念で推し進めた

自由と平等とチャンス

 アメリカは建国約240年、移民の国である。学校の国史の教科書が分厚い日本とは違うのである。しかし、この国の人々は何よも”自由”と”平等”という言葉を慈しむ。この言葉に引き寄せられて現在もなお世界の多くの国々から貧困や、迫害を逃れてきたり、自分の才能を試そうとやってくる。そういった人たちを受け入れる”風土”というものが、この地にはあるかもしれない。じつは日本人もかつてはチャンスを求めてこの地に渡ってきていた。

 ニューヨークでは、現在日系の人たちの人口は前述のデータが示すとおり、その他アジアの国々に比べて圧倒的に少ない。日本人は多く暮らしているけれど、仕事で滞在している人が大半を占める。アメリカにおける日系移民の歴史はかなり古く、明治元年には、すでにハワイ(当時はハワイ王国)などへ日本からの移民が上陸している。そのほとんどは明治維新の土地や税制改革で地方貧困に拍車がかかりハワイのパイナップルや砂糖きび畑の労働者としての若い男性たちであった。日系移民が盛んだったころの日本の社会経済とは、比べられないほどに米国が発展していたことも一因にあるが、現在では日本からの移民は非常に少ない。もちろん、これには現在のアメリカの移民政策なども大きく影響を及ぼしている。

 あまり意識して記憶にとどめていないかもしれないが、アメリカでは昔から多くの日本人や日系人にたいして、さまざまな分野でその功績をたたえている。ニューヨークにおいては野口英世、高峰譲吉がまず挙げられ、アメリカ全体では、私がすぐ思い浮かぶだけでも、イサム・ノグチ、早川雪舟, マコ・イワマツ、ジョージ・タケイ、エリソン・オニズカ、ノーマン・ミネタ、ダニエル・イノウエがいる。現在も日系の人たちやアメリカに住む日本人も様々な分野で活躍していることは周知のことと思う。

 歴史のなかでは、”黄禍”と呼ばれ日系人、広くはアジア人にとって露骨な偏見を受けた時代がある。また太平洋戦争開始直後の西海岸の州における、日系人の強制収容という苦難の時代があったことも忘れてはならない。(その後、前述ノーマン・ミネタなど日系政治家の働きかけでアメリカ連邦議会は、これに対し謝罪と賠償をおこなった)ちなみにノーマン・ミネタは運輸長官時代に9.11が起こり、アラブ系、イスラム系の人たちを差別すべきでないと、声を挙げた人である。

マンハッタンの交通のかなめのひとつであるグランドセントラルステーション。様々な人がそれぞれの思いを持って足を速めるクロスロードである。待ち合わせでインフォメーションブースの時計の文字盤が一枚のオパールでできているのはグランドセントラル七不思議のひとつ

ニューヨークのアイデンティティ

 閑話休題。前述の強制収容の状況下での西海岸と比べて、ニューヨークを中心とした東海岸の日系人の収容や資産の没収もなかったと聞いている。もちろん、日系移民の数や地理的な問題も影響したのであろうが、少々乱暴な考え方をすると、社会において民族や宗教が多く共存すればするほど差別というものが軽減され、人々は共存を模索するのではないだろうか。もちろんニューヨークでも人種差別が存在し、また、多くの人種が共存するがゆえに治安問題がもあることは無視できない。しかし、ここに住む人々はそれを乗り越えようと、たゆまない努力をしていることも事実である。中西部や南部に比べると、やはり移民にとって住みやすく感じられるのではないだろうか。

 ニューヨークは、果たして”人種のるつぼ”であろうか? 私には、いろんな金属が解け混ざってできた合金ではなく、さまざまな人種や、宗教、文化のモザイクのような集合体のように感じる。その一つ一つのエレメントが相互に関係し、眼に見えない大きな法則ともいえるものに遵(したが)い、さまざまな動きを見せながら、ニューヨークのアイデンティティをつくり上げているのだと思う。