文=沼田隆一

 私が生まれた1950年代の日本はまだまだ戦後の面影が強く残り、駐留軍の兵士たちがレイバンのサングラスやA-1のコードバン製フライトジャケットを着て街を闊歩していた。神戸の街では南京町から豚まんのにおいが漂い、インド人テーラーが忙しく採寸し、入港した外国人船員がギリシャ料理店に入る。初めて口にしたピロシキやヨーロッパのパンのおいしさはいまだに記憶に残っている。そういった体験がいつしか私のDNAに組み込まれ、学生時代を過ごした東京を後にし渡米。それからは世界の多くの素敵な人たちに支えられここまで来た。いま住んでいるマンハッタンもすでに30年、人生でいちばん長く腰を下ろした街になってしまった。

東京はグローバルシティだろうか

 深夜マンハッタンの自宅の窓から街を見下ろすと、ニューヨークは、絶えず蠢動を続ける大きな得体のしれない生命体のように感じることがある。公共交通も24時間動き続けている。が、深夜につんざくパトカーや救急車のサイレンも永年住むと子守唄になる。この説明のつかないメトロポリスが生むエネルギーはどこから来るのであろうか?

ミッドタウン・イーストのマンハッタン。戦火にまみれたことのないニューヨーク様々な時代の建物が共存しデコボコに積み上げた積木のようである。そこに様々な人種の営みがある

 9月20日から11月2日に開催されたラグビーワールドカップ2019日本大会の興奮と余韻、そして、2020年に開催される東京オリンピックの話題を日本のマスコミは飽きもせず熱く報道しているようだ。東京の街は多くの外国人観光客でにぎわい、東京はグローバルシティだ、国際都市東京といわれている。たしかに『五輪音頭』が街中にこだましていた、第18回オリンピック競技大会(1964年)当時とは隔世の感がある。

 東京は様々な分野で世界中の都市とつながってはいるが、果たして真の意味でグローバルシティになっているのであろうか?

 JFK空港を降り立つと入管にはありとあらゆる国の人々が列をなしている。またその空港で働く人もさまざまな人種や宗教の人たちである。ニューヨークを見てアメリカを知ったと思うなかれとよく言われる。一見無秩序で魑魅魍魎に見えるこの街はそれでも説明のつかない法則で巨大なシナジーを生み、ありとあらゆるものを世に送りだすメガパワーを供給している。

エンパイアステートビル。1931年ヨーロッパ系の移民たちによりわずか20カ月で建てられたこのビル、一時は日本人もオーナーになったが。周囲にはメーシーズやマディソンスクエアガーデンのほか、今やコリアンタウンが真横に大きく存在する時代となった

  私には不慣れな「インバウンド」という言葉を日本ではよく耳にする。おそらくは海外からの観光客を意味することと思うが、観光客以外でも日本は近年外国人居住者の数が増え続け、さまざまな職業に外国人労働者を目にする機会も増え続けている。その人たちの国籍や宗教もさまざまである。その人たちの多くは素晴らしい経験や知識を持っている人たちである。

 一方、ニューヨークでは「インバウンド」といわれる観光客でさえ街中ではブレンド・インできてしまうのである。ニューヨークに引き付けられた様々な人たちがこの地で異彩を放ち、きらめこうとダイ・ハードに生きている。その有様はちょうどカレイドスコープのように時には形を変えて組み合わさり、美しい模様と光を放っているのである。

 東京とニューヨークは似ても非なるものであるが、東京がグローバルシティとして魅力ある都市であり続けるためにどう変革していくべきか、あえて今ニューヨークと比較しながら、さまざまなアングルから考察してみたい。

国連本部のビルは1952年の建築。それ以来世界はよくなっているのであろうか? 人々の心の垣根は低くなっているのだろうか?