写真・文=沼田隆一
周りの人へリスペクト
ニューヨーク州では新型コロナウィルスの感染状況が改善し、9月3日時点での陽性率は0.92%となった。検査数も800万を超えている。ニューヨーク州知事の即断により、全米でも「周りの人たちへのリスペクト」として、早くから公共交通機関や公共施設、ドラッグストアなど人が集まる場所でのマスク着用を義務づけ、広く理解され受け入れられた成果が出ている。
また、PCR検査も不法移民も含め、国籍やイミグレーションのステータスにかかわらず無料で実施されている。このような施策は、日本では少し現実離れしたこととして受け止められるかもしれない。
一方、ニューヨーク州に隣接する州を除いた他州では、経済を優先するあまり早期に制限を緩めてしまった。憲法に定めた個人の人権を侵害するとして、マスク着用を義務づけられない州や地方自治体は、個人の自由を優先。結果として第2波に入り、感染の封じ込めに苦労している。
事態が好転しているニューヨークであっても、日本に比べるとまだまだ制限のある暮らしが続いている。感染者が多い州との行き来は制限があり、市内のレストランの屋内営業はまだ認めていない。その代りに急遽つくられた市の規則により、店は歩道や車道にテラス席を設けて食事を提供している。ただ、そういった場所での酒類の販売は、クラスターが発生しないように細かい規則が定められ、取り締まりも厳しい。罰則規定では、違反した店は酒類販売ライセンスを取り消す措置もとられている。(クオモ州知事は9日の記者会見で、市内のレストランなどの飲食店について9月30日から屋内での営業再開を許可すると発表した。はじめは25%のキャパシティで、感染者が増えなければ11月末には50%に引き上げる予定だ)
マスク着用もいまだに義務化されており、スーパーマーケットやドラッグストアなど人が集まるところなどでは、着用しないと入店できない状態が続いている。そんな状況でもほとんどのニューヨーカーはその必要性を理解し、新しい「秩序」のなかで前を向いて生きようとしている。
沈黙は差別への加担と同じ
そんななか、今なお続くのが“Black Lives Matter”(BLM)運動。人種を問わず多くの人がこれに参加し、民間企業も今までにないスピードで「沈黙は差別への加担と同じ」というスローガンを掲げている。映画や取り扱う商品もBLMに反しないかと敏感になっている。
プロスポーツの世界でも、影響力のある選手は沈黙をしていない。スポーツ選手が「ただスポーツに目を向けていればいい時代」は、この国では終焉を迎えているのかもしれない。自分の意見ははっきり言うように教育されているこの国では、そこに抵抗はないのだ。オリンピック・メキシコシティ大会(1968年)の陸上競技男子200メートルで、表彰台に上がった2人のアメリカ黒人選手が“Black Power Salute”をし、物議を呼んだ時代からは隔世の感がある。
また、感染拡大を防ぐ意味から多くの服役者が釈放されたこともあり、街の犯罪率は悪化をたどり、今まで犯罪発生率が低かったところでも発砲事件や殺人事件が増えている。新型コロナウィルスによって引き起こされた経済不安、失業者の急激な増加により、ホームレスも増え、警察改革の影響とも相まって、この治安状況が急によくなるとは予想しがたい。
New York City Restart
しかしタフで強靭なニューヨーク市民は、この状況においても困難に立ち向かい、克服しようとしている。“RESTART”は確実に進んでいる。州は、失職者が家賃を払えない理由での立ち退きを禁止するモラトリアムを延長し、失業者手当、小規模事業者への支援、食事ができない人たちへの無料の3食提供も続けている。高齢者への無料の食事の宅配も継続されている。
博物館や美術館などの文化的な施設は、25%の収容率ではあるが完全予約制で再開され、市の公園においても子どもの屋外スポーツ実施が許可された。9月13日からは無観客ではあるけれど、ニューヨーク・ファッション・ウィークの開催も決まった。プロ野球も、全米オープンテニスも、プロゴルフも無観客で再開されている。市内のショッピングモールは、人数の制限はあるが再開することが決められた。公立学校では、新学期から対面授業をするのかリモートにするのか、この2つのハイブリッドにするのか、まだ議論の余地はあるが、校庭や公園も使った屋外授業も認めるなどいろんな施策が打ち出されている。
苦境にいるアーティスト
さてそんななかで、ニューヨークに住み暮らすアーティスト、クリエイティブな仕事をしている人たちはどうしているのであろうか。世界にはパリやロンドン、アムステルダム、ミラノなど多くの美術、芸術、ファッションなどを発信する都市がある。しかし、ニューヨークほど多種多様な分野で才能を持った人たちが切磋琢磨し、とてつもないエネルギーを発生させている都市はないような気がする。
再開された美術館、博物館などは別として、タイムズスクエアの周りの劇場街やカーネギーホール、リンカーンセンター付近は人影もまばらで静まり返っている。ファッションの世界では、毎年恒例のメトロポリタン美術館を会場にし、華やかに行われていた“First Monday in May”も中止された。
ニューヨークでは、多くの人が直接・間接的にクリエイティブな分野で仕事をしている。組織に属している人たちは、少なからずある程度の収入や健康保険などのサポートがあるところもあるが、それでも大幅なペイカットやレイオフということも現実に起こっている。バレエ団や交響楽団のなかには、日ごろパトロンとなっている企業、個人が“CRISIS RELIEF FUND”(危機救済基金)を立ち上げたところもある。しかし、組織に属さない個人が大勢いることもこの分野の特徴的事実である。
多くのアーティストたちが仕事をなくし収入を絶たれている。いくつかの基金が拠出した“Artist Relief”という金銭的サポートをするシステム(総額1000万ドル)も立ち上げられ、設立開始から15日間で5万5000件の申請がなされたという。この現実からアーティストやクリエイターらの経済状態の深刻さがうかがい知れる。
ニューヨーク市内で働く1000人のダンサーを対象に行われた調査でも、75%は住居問題を抱えているとされている。もちろん、前述の家賃未払いでの立ち退きを禁止するモラトリアムが9月末日まで延長されているが、その先はまだ不透明である。連邦政府の次の救済パッケージの内容も民主・共和両党間でまとまっておらず、不安と不透明さはますます深刻度を増している。ヨーロッパの一部の国のようにアーテイストに特化した救済パッケージはない。
そんな状況下でも、オンデマンド・ライブストリームなどを使った新たなパフォーマンスの方法を模索したり、ドライブイン形式の野外のシアターを開設するなど新たな創造が出てきている。メトロポリタンオペラなどは来シーズンのメンバーシップを早めに支払ってもらうだけでも財政の助けになると訴え、多くの人々は賛同している。またカーネギーホールは、社会貢献の一環として “Learn with Carnegie”というプログラムを立ち上げ、ライブストリームを通じアーティストたちの経験談などを音楽教育者、音楽家を志す子どもへ向けて発信している。
アメリカの心理学者、アブラハム・ハロルド・マズローの欲求五段階説では、「自分がサバイブしようとしているとき、周りの人々のことはなかなか考えにくい」とする。しかし民度の高い街であるからには、こういったクリエイティブな分野の困っている人たちを支援するという、度量を持ち合わせる必要があるのだろう。
いつの時代も芸術は人々の傷ついた心を癒し、折れそうになる気持ちを鼓舞してきた。今この街では、“Restrictions do force your creativity.”(制限がある時こそ、われわれの創造力が試される)という意味の言葉を耳にする。私にはこの言葉をとても崇高に感じる。ニューヨークに住むものとしてこの言葉は大切にしていきたい。