残念ながら自由世界でのアメリカ一極主義を唱える時代は終わっている。国際連盟の生みの親とも言われたウッドロウ・ウィルソンが唱えたように、自由や民主主義のような価値観は世界を平和にするという理想主義は否定しない。ただ現実を見ると、それでは実際平和を実現できていないことはアメリカを見ていてよくわかる。

 勢力均衡が重視されるリアリズムのパラダイムにシフトしているのではないだろうか。我々の周りを見ても子供の時はアメリカ文化へのあこがれや信奉のようなものがあったが、今や従来のアメリカが発信するカルチャーが世界を均一化することは不可能だ。世界のそれぞれのローカルカルチャーから作り出されるものをどれだけ咀嚼し、吸収して新しいものを作り出すことが出来るかで、新しいグローバルなカルチャーや価値観が生まれてきている気がする。

昨年は中止になった毎年8月恒例のニューヨークバイシクルウィークエンド。パークアヴェニューを土曜日の午前中自転車や歩行者に開放するファミリーイヴェントだ。マスクなしで久しぶりに大勢の人々が集まった。FIVE BOROUGH(ニューヨーク市内5区の車道を自転車専用にして走る大きなイヴェント)も復活した。ニューヨークは自転車専用レーンも充実し、パンデミックでさらに自転車人口が増えた

 様々な国の人たちが行きかい、文化や価値観が交錯するニューヨークはそういう意味でアメリカの一部でありながら、ニューヨークという独自の世界を創造していると感じる。

 

トンネルヴィジョンの蔓延

 私の眼にはアメリカや日本を含め、世界はトンネルヴィジョンの人々が増加しているように感じる。自分が心地よい世界に焦点を置き、それ以外の入ってくるものは無意識に除外している現象である。これは国が国民に掲げた目標が何度も達成できず、希望がことごとく裏切られたと感じる中でますます負のエネルギーが蓄積し、閉塞感からくる不安に対しての人々の自己防衛メカニズムが働いているといえるのかもしれない。

 社会全体より個人、将来より今、多様性に対する危機感からくる排除、世界はこのような考えに流されようとしている。このパンデミックが収束したらこの状況は変わるのだろうか? そんな単純な図式ではないようである。ひとり一人の自由を考えるのと同じくらい、それぞれがこの世界に何ができるかも考え、声に出して行動をとらないといけない。そのことをこの夏は警鐘を鳴らしていたような気がする。

 今の世界をミネルバのフクロウはどう見ているのだろうか……。