健康に関する意識

 日本を見ると悲しいことではあるが、なかなか進まないワクチン接種とデルタ株の台頭で8月半ばの時点では、緊急事態宣言する都市が増え続け、期間も延長が繰り返されている。いよいよ医療体制の崩壊はじまっているようである。政府や医療機関から出る言葉だけは切羽詰まっているが、報道映像を見る限り、街を行く人々の表情からはその切迫感がほとんどない。なぜであろう。自粛疲れということだけでかたづけられない気がする。

 日本は今までレベルの高い医療を国民皆保険制度で提供してきた。男女とも長寿国と言われるようになった。興味深いことにアメリカの広告やテレビCMを見ているとかなりの割合で、トレーニング器具、医療保険や処方箋を必要とする医家向け医薬品が流されている。医療はただ与えられるものではなく自分たち一人一人が積極的に自分の健康を守り、医師が立てた治療方針に患者が口をはさむカルチャーがある。その違いがこのパンデミックで浮き彫りにされた気がする。

 さらに深堀すると、我々の健康を守り安心・安全の暮らができることをお上にお任せするという感覚が見える。これでは政治と投票者の距離は遠い。何となく人柄が信頼できるという印象で投票された為政者は、言葉だけではなく本当の意味で”汗を流し”、また人々の信頼を得て有効な施策ができるのだろうか? そんな状況に陥らないためにも、有権者をはじめ国民は”お上にお任せ”から精神的に卒業する時代に入っているのではないだろうか? 

 

ビッグアップルの覚醒

 最近のこの街の動きに話を戻すが、失った観光客を取り戻す”NYC Reawakens”という3000万ドルをかけたキャンペーンが開始され、今年の訪問者は約3640万人と予想されている。あの陰気で時代遅れのラガーディア空港が大幅に改装され、ニューアーク空港にも新しいターミナルができる。おなじみのグランドセントラル駅の西横にサミットワン・ヴァンダービルトができ、オブザベーションデッキも10月オープンと聞く。新しく開発されたハドソンヤードの超高層ビル、30ハドソンヤードのオブザベーションデッキと対抗する観光スポットがまたできた。マンハッタンは建築ラッシュである。

 5つの行政区それぞれで多様な人種や文化を紹介し、体験ができる観光プログラムも開始された。8月21日にはセントラルパークで新型コロナウィルスパンデミックからの復興を祝う記念コンサートも、あいにくのハリケーン・アンリのため短くなったが開催された。例年9月のニューヨークファッションウィークもいつものブライアントパークから五番街のビルに場所を移したこともあり、いつもとは違う趣向が期待できる。

 

リアリズムとグローバルカルチャー

 この街を見れば確かに明るい材料があふれ出てきている。しかし、この国を冷静に見てみると、パンデミックで活躍したニューヨーク州知事はセクハラ疑惑で辞任。市街地では銃犯罪が多発し、相変わらずトランプ支持者が多い州ではデルタ株による感染爆発。それにもかかわらず個人の自由を盾にマスクの義務化に反対する州知事たちがいる。

 先の大統領選挙で不正があったと主張し続けるトランプ前大統領に、今でも多額の選挙献金が集まっている。中間選挙や次期大統領選の勝利を手にするために、いくつかの州は投票方法に制限をかけることで、黒人の投票数を少なくしようとする法改正を行っている。また、バイブルベルトと言われる南部を中心とした州ではアボーションを厳しく制限し、違法行為をした人たちを市民が訴えられるという条文までテキサス州知事は加え、大きな問題となっている。日本では想像できない連邦法と州法というこの国独特の制度が大切な局面で問題として立ちはだかる。この国はまとまるばかりか、いまは二分化が深まるばかりだと感じる。

 外交に目を向けると対中国との関係は冷めきっている。20年もの歳月ののちアメリカ軍が撤退したアフガニスタンは、タリバンが全土を支配下におさめた。その昔、アメリカが多くの犠牲を払ったヴェトナム戦争において、北ヴェトナム軍がサイゴンにgiải phóng(解放)を唱え進軍した。アメリカ大使館の敷地にはアメリカに協力したヴェトナム人が脱出のため押し寄せ、最後のイロコイス(Iroquois=米軍ヘリコプターUH1の名称でヴェトナム戦において最も使われたヘリコプターの一つ)に、すがりつく人たちの報道写真はあまりにも有名である。アフガニスタンとヴェトナム戦争とを同じ物差しで比較できないが、アメリカはまたしても同じ轍を踏んでしまったという感はぬぐえない。