職住接近のマンハッタンは、よく働きよく遊び……

市営フェリーの充実はニューヨーカーに新たな交通手段を提供し、それぞれの船着場周辺には高層アパートが出現した

  ニューヨークで仕事をしている人たちは、ウェストチェスターやコネチカット、ニュージャージーに住み郊外電車で通勤している人もかなりいる。その昔、郊外電車の車両にバーが設けられ帰宅前の束の間に車内で一杯飲むという文化もあったようである。仕事関連で夜遅くまで酒を飲まないニューヨーカーは、日本のいわゆる飲み屋街のようなものと無縁である(筆者には日本で昔はやった「スーダラ節」の一節が懐かしい)。

  グランドセントラル駅やペンシルバニアステーションなどとは無縁に、マンハッタンに住む人も多い。自分のオフィスがあるビルから徒歩圏、もしくは自転車通勤圏にあるコンドミニアムに住む人たちは想像以上に多いのだ。マンハッタンの不動産価格が上げ止まり、マンハッタンの対岸のクイーンズやブルックリン、そしてお隣のニュージャージー州の高層アパートの建設ラッシュを生んでいる。

  またマンハッタンにも、どんなふうに建てたのかと考え込んでしまうくらいの、建築設計上の限界に挑むようなデザインのコンドミニアムがいろいろできている。なかには1000万ドル級の物件もかなりあるようだ。しかし、そんなドアマンもフロントデスクもいるようなコンドミニアムだけではなく、プロジェクトと呼ばれる低所得者用の公共住宅もある。第2次世界大戦ではニューヨークの街は戦禍にまみれなかったため、ニューヨークを舞台にした映画やテレビドラマに出てくる、ブラウンストーンと呼ばれる古い4階建てくらいのアパートも多い。

  世界のビリオネアが不動産を買いに来る街であるとともに、庶民が元気に生きている街でもある。ありとあらゆる階層の様々な人種がそのライフスタイルを崩さずに生きている街なのだ。もともとアメリカ人は画一性ということに重きを置かないが、とくにニューヨークは周りの目を気にすることもなく同調圧力もない社会である。自分の気に入ったものを季節に関係なく着て、住みたいように住む。また周りの人間もそのことに何も言わない。いわゆる流行を追い続ける人もいれば、まったく我関せずの人たちもいる。ひとり一人の自由がそこにある。

  市内に住むのにクルマはいらない。歩き(Zウォーク=スマートフォンをいじりながら信号無視でジグザグ歩行も含む)、スケートボード、自転車、モペッド、そしてフェリーボートやバス、地下鉄で充分である。さらにイエローキャブに加えて、UBERや乗り合いタクシーなどの新しい移動手段も活性化している。日ごろの買い物も高級スーパーから庶民のスーパー、量販店、街角に必ずあるデリなどで、自分たちの所得に見合った普段の買い物の場所が選べる。パンデミックのなかで大きく育った、料理や買い物の宅配業者の自転車が縦横無尽に活躍している。

 

ワークライフバランスを実践できる街

 この街には習慣として職場の仲間と昼食をともにする光景はあまりない。一人ひとり思い思いの食べ物を自分のデスクで食べたり、近所の公園のベンチで食べたりする。ランチブレイクを利用してジムに行くつわものもかなりいる。仕事が終わると仕事の仲間と立ち飲みのバーで一杯飲むことはあっても、職場の仲間との飲み会はほとんどない。仕事上の接待なども含め職場と関連する飲食はランチですまされてしまう。飲み会やら職場の付き合い、飲食遊興をともなう接待が慣習となっているアジアの国とは、やや別世界の感がぬぐえない。がむしゃらに仕事して思いっきり遊ぶ、プライヴェートは家族や友人たちと充実させている。みんなそれぞれ自由に自分のライフスタイルを創っている。この街はそれを可能にしている。