アミューズメントにあふれる街

 仕事終わりに劇場に行ったり、噂になっているレストランを試してみたり、自転車で川沿いを走ってみたり、セントラルパークでジョギングしたり、(ジョガーは街のどこでも見受けられるが)、ブロンクスの動物園や、足を延ばしてブルックリンにあるコニーアイランド(毎年ホットドッグの早食いコンテストがあるので有名)へ子どもと行ったり、とプライヴェートの選択肢は多い。もちろん、お金に余裕のある人はボートやヨットを楽しみ、1時間数100ドルのテニスコートで汗を流すという人たちもいることは確かだけれど。

クレーコートだけでも26面あるセントラルパーク内の市営テニスコート。マンハッタン5区には、このほか数多くのテニスコートが市民に開放されている

 庶民には公園がある。スポーツを楽しんだり無料のコンサートに出かけたり、家族でにぎやかにバーベキューをするし、川で釣り糸も垂れる。その時のニューヨーカーは眉間にしわを寄せて速足で歩くことを忘れる。この街が持つ多面的なエンターテインメントが、人々の日ごろのストレスやフラストレーションのヴェントとなっているのではないだろうか? この街は様々なリクリエーションを考え実行できる場をもっている。自然を愛する人も、音楽や芸術が好きな人も、スポーツの好きな人も、何でも好きなことが自由に人目を気にせずできる街である。

 ニューヨークに住む人間は何やかやと文句や注文が多く、自己主張が強いところもある。が、やはりニューヨークを愛している。COVID-19や9.11などの苦難と闘う。ニューヨーカーにはこの街を守ろうとする強靭さがある。人種差別、銃犯罪、テロなど、常に多くの人種が共生するこの街特有の問題が存在し続けるのではあるが、そのようなネガティブなものとニューヨークの与えてくれるものとをリーブラにかけることなく、この街の与えてくれるものがあまりにも多いことをニューヨーカーは知っている。

 つい最近も昨年は開催延期となったグリニッジヴィレッジのハロウィーンパレードを開催するのに15万ドルが不足していることが伝えられると、ある金融関係の重役が個人で15万ドルの寄付を申し出た。どこかの国の起業家が数億円でクルマを買ったことをメディが取り上げる国とは隔世の感がある。

 

The Land of the Free

スタテンアイランド・フェリーは自由の女神を眺めながらの心なごむ20分の船旅。このフェリーは通勤者にとってワーク・ライフを切り替えるいい場所である

 東京のような一極集中型メトロポリスとは違うダイナミズムをこの街は持っている。日本は、確かに平和で素晴らしい国であるけれど、ニューヨークに住み慣れた私にとっては、いろんな有形無形の決め事が多すぎて自由度が低い。なんだか本当の自分を出しづらい感じがする。そんな中では何となく自分のアイデンティティを失い、パッションが萎え、仕事や生活に息苦しささえ感じる時がある。この街の自由度は高い。それはおそらく多くの移民が自由を求めてこの街にやってきたことと深く関係があるようだ。それ故、自由ということに時には過敏に反応する人たちも多いのかもしれない。

 ニューヨークはアメリカであってアメリカではない。そのユニークさゆえに自由であること、自分であることを許され、自分というものを主張し、自分の才能を磨き夢に向かう。世界各地の人々を磁石のように引き付ける街である。

 この街は誰でも幸せになる街ではない。この喧騒と競争に倦んだ人はこの地を去っていく。しかし何かを求めてやってくる人たちが絶えることはない。おかげで、この街は新陳代謝が常に行われている。そこから生まれた説明のつかない巨大なエネルギーの渦の中で、ニューヨーカーは自由を尊び、タフさを磨き、もがき、這い上がり、成功を夢見る。アメリカ国歌の……”The Land of the Free.”とは、まさしく、である。

 長いフライトの後空港で客待ちのイエローキャブに身をゆだねる時、そのお世辞にも清潔と言えない車内でむせるような芳香剤の匂いと、運転手の外国語なまりの英語を聞くとホッとする。そんなニューヨーカーは私だけではないと思う。

There is no place like New York.