文=鈴木文彦 写真=山下亮一

塩尻「桔梗ヶ原メルロー」を生み出した伝説のひと、林農園/五一わいん代表の林幹雄さん。1929(昭和4)年塩尻生まれ。父・五一氏と共に林農園で戦後間もなくよりワインづくりに携わる。メルローを見つめる目は優しい

日本ワインを代表する品種・メルロー

 カベルネ・ソーヴィニヨン、ピノ・ノワール、シャルドネといった、ワインで有名なブドウ品種が属するヴィティス・ヴィニフェラは、日本の気候に合わずにうまくいかない、という話を前回書きましたが、現在では、その話は、今や昔、という感があります。

 なにせ、栽培が難しいとされるピノ・ノワールも、白ワインの女王といわれる高貴なリースリングも、いまや日本で栽培され、素晴らしいワインが生まれているからです。ちょっと普段聞き慣れないような品種で造られたワインを目にすることもあります。

 それは、栽培に向いた土地の発見と開拓、そして栽培技術と醸造技術の向上という人間と自然のストーリーの賜物なのですが、そのストーリーのなかでも、メルローのそれは日本ワインの歴史的なストーリーです。

林農園のメルロー 写真提供=林農園

 フランス、ボルドー原産、明治時代にはすでに苗木が輸入されていたといわれるメルローは、現在、山梨県、山形県、北海道、岩手県、兵庫県など、日本の各地で栽培されていますが、特に有名なのが長野県。そのなかでも塩尻市の、東西に3キロメートル、南北に5キロメートルほどだとされる小さなエリア、桔梗ヶ原のメルローから造られるワインは、日本ワイン最高の赤ワインの一つと称されることもあります。

 塩尻は1890年からコンコードやナイアガラといったアメリカ大陸原産のブドウを栽培していました。大正から昭和初期になると、現在も続く、林農園、井筒ワイン、信濃ワイン、アルプスが創業し、1930年代には、地元のブドウを地元の醸造所だけではさばききれない、という理由で、桔梗ヶ原の生産者が要請する形で、サントリー、そしてメルシャンが進出します。

 この連載の2回目でも触れましたが、日本で最初に成功した国産のワインは甘口でした。そして、塩尻は日本ワインの黎明期において、甘口ワインの原酒供給地でした。主力品種はコンコードです。

 その後、第二次世界大戦がやってくると、日本全国でワインが造られるようになります。なぜかというと、ワイン醸造の副産物を得るために、ワイン造りが必要だったからです。