京都市京セラ美術館 特別展「民藝誕生100年 ─京都が紡いだ日常の美」会場風景(撮影:来田猛)
特別展「民藝誕生100年—京都が紡いだ日常の美」が、京都市京セラ美術館で開催されている。
「民藝」は、思想家の柳宗悦らがつくった造語だ。柳は、名もない職人たちがつくり、庶民の生活で使われた器物には、観賞用の美術品にはない、簡素で飾らない美しさ=用の美がある、と言い、民衆的なる工芸=民藝と名付けた。1925年、柳が関東大震災から逃れて京都に居住していた時のことだ。
全国の民藝の産地を芹沢銈介がグラフィカルに表現した作品。日本津々浦々にある工芸産地の豊富さ、多彩さが見える。 芹沢銈介 日本民藝地図(現在之日本民藝)(部分) 昭和16年 日本民藝館蔵(撮影:来田猛)
人気セレクトショップも民藝。「意識高い系」の消費者をわし摑みにする魅力
それから100年。民藝という言葉は、今やライフスタイルのトレンドとなっている。2010年にハイスタイル雑誌BRUTUSが『民芸とみやげもん』を特集し、Casa BRUTUS『世界の民芸と、スタイルのあるインテリア。』(2015)が、民藝をモードとして打ち出した。セレクトショップのBEAMSは、民藝を世界の雑貨とリミックスするレーベル「fennica(フェニカ)」を立ち上げている。昭和にも俗っぽい田舎趣味の民藝ブームはあったが、令和の今、民藝は「オシャレ商材」としてリバイバルした。
日本各地でつくられた素朴で伝統的な、庶民の生活道具。そこに現代人はローカル、手仕事、自然素材、庶民性、素朴、無駄のなさ、というポジティブなイメージを見る。そしてこれは、「意識の高い層」の関心事であるエコロジー、スローライフ、サスティナブル、に直結する。ザルや布巾、タライやホウキのような、職人の手仕事による生活道具は、今では日常で使われにくく、そして高価だ。あえてそれを使う「ていねいなくらし」は、余剰の時間と購買力の誇示でもある。
特別展「民藝誕生100年—京都が紡いだ日常の美」ミュージアムショップ。手仕事の品たち
バーナード・リーチのセント・アイヴス窯で制作された陶器も販売
墓参りで初めてタワシを見た超エリート
柳も、雑器を普段から手に取っていた人ではない。のちに民藝の品と呼ぶ雑器=下手物に初めて遭遇したのは、墓参りで見たタワシだったという。なんと、それまでタワシのような庶民の日用の品を見たことがなかったのだ。
それも無理からぬことで、柳は当時、入学に身分の条件があった学習院に学び、1910年に創刊した「白樺」で、いち早く西洋近代美術を紹介した、当代きっての文化エリートだった。庶民との間にあった、大きすぎる階級差を考えれば、タワシのような下手物とは未知との遭遇だったはずだ。ちなみに柳は、蚤の市で、品に手を触れずにステッキで指して値段を聞き、収集した布製品の洗濯は妻任せだった。
民藝の「民」とは誰だった?WOKEな現代では完全アウトな柳宗悦の人権感覚
そんな柳に、職人たちへの敬意や共感は、到底、抱きようがなかった。「民衆が自らに於いて美を産み得ないことは今も昔も変わりはない」(『工芸の道』)と言い、民衆的な工芸に美が宿ることは、職人の技ではなく、超自然的な力によるものだと論じた。人間としての職人を否定するように「彼等自らの力がそれ(素晴らしい作物)を産んだのではない。他力に助けられて様々な不思議を演じたのである」(『工芸文化』)。これは、WOKEな現代の人権意識から見れば、完全にアウトな物言いである。
職人は美の追求ではなく、生きるために手を動かした。しかし、展示の4章「日本全国の蒐集」を見ると、どれも惚れ惚れする美しさがある。
左:菊大紋胴小紋裾花文様被衣 庄内 19世紀(江戸時代)日本民藝館蔵【前期展示:10月26日まで】 手前から3点目:熨斗文様夜着 19紀(明治時代)日本民藝館蔵【前期展示:10/26まで】4章「日本全国の蒐集」より。職人の創意がみなぎる法被の図案に注目
それは、職人の作った膨大な品の中から、柳が千に一つ、万に一つの優品ばかりを選んだからだ。類稀なその目利きと、名もない職人が(他力に助けられたのではなく自力で)器物に注ぎ込んだ創意と美意識とが出会ったところに、民藝の美はある。令和の今ならそう考える方が、フェアだろう。
