自在鉤 19世紀(江戸〜明治時代)河井寬次郎記念館蔵

柳「初歩悦」とひやかした、北大路魯山人

この柳の「上から目線」に、真っ向から噛み付いた同時代の芸術家がいた。北大路魯山人である。

白磁壺 朝鮮 18世紀前半(朝鮮時代) 日本民藝館蔵
霰釜 18世紀 日本民藝館蔵

魯山人は、家庭環境に恵まれず、逆境の中、自力で篆刻や書、陶芸の技と見識を極めて成り上がった。それゆえ、美意識には強烈な自負がある。魯山人は、柳が民藝を最高の美と言い、個人作家の名品を否定するのが我慢ならなかった。「その否定するところの美を、お前はどれほどわかっているのか?」と噛みついた。雑誌「星岡」で「柳宗悦をひやかす」と題した文章を書き、柳を「初歩悦」と嘲っている。

濵田庄司 掛分指描大鉢 1943(昭和18)年 大阪市立東洋陶磁美術館蔵(堀尾幹雄コレクション)
バーナード・リーチ 楽焼大皿「兎」 1920(大正9)年 京都国立近代美術館蔵

濱田庄司、河井寬次郎が、民藝と言いながら高価な値段で作品を売っていることにも憤慨した。「民衆の生活と交わる工芸を正しとするおまえの建前から見て、一個十五円の土瓶、一個六円の醤油入れ、一個三十円の手焙りはどこの国のいかなる民衆の生活に交わるのだ」。この矛盾について、柳は「個人作家は民衆の指導者として位置付けるべきだとする」と言い訳をしている。

魯山人は、ものづくりが時代性と不可分であることを説き「元来、過去の産出にかかる工芸をもう一ぺん世に出したいと考えるのが正気の沙汰じゃないんだ」と、民藝運動を批判した。古き良き時代の器物を模範として、その時代の良き社会に戻ろう、という民藝の考え方は気味が悪い、と私も思う。