大谷 達也:自動車ライター

964型に特化した高級レストア&モディファイサービス
シンガー・ヴィークル・デザイン社の本拠地がある南カリフォルニアで「ポルシェ911リイマジンド・バイ・シンガー」という名のレストモッド車両に試乗して、初めて同社のフィロソフィーを理解することができた。
私がオートグラフにシンガーの記事を寄稿したのは昨年7月のこと。これは、彼らがコーンズ・モータースとパートナーシップを結んだことを機に来日した創業者のロブ・ディクソンとCEO(当時。現在はチーフストラテジーオフィサー)のマゼン・ファワズが語った言葉をまとめたものだが、正直にいって、このときはまだ、シンガーのフィロソフィーを理解しきってはいなかった。
このときファウズが語った「クルマのパフォーマンスを向上させることもあれば、シャシーの強化、サスペンション・パーツの再設計、ブレーキのアップグレードを行うこともありますが、ポルシェの本質を見失わないようにすることが私たちにとっては極めて重要です」という言葉がシンガーの真髄をいちばん的確に説明しているように感じたが、では「パフォーマンスを向上させること」と「ポルシェの本質を見失わないこと」の境界線というかバランス点がどこにあるのかは、彼らの話を聞いているだけでは理解しきれなかったのである。
そうした謎が、クラシック・ターボというプログラム(彼らはこれをサービスと呼ぶ)を施したレストモッド車両への試乗を通じて解明されたといっていい。
現在、シンガーはクラシック、クラシック・ターボ、DLS、DLSターボという4つのサービスを用意しているが、ここでいうクラシック・ターボは、昨年7月の記事でターボ・スタディと呼ばれていたサービスと同一のもの。その後、本格的な量産が始まったことでスタディの言葉を外し、クラシック・ターボに名称を改めたとの説明を受けた。

まず、シンガーについてご存知ない皆さんのために紹介すると、同社は2009年に設立されたレストモッドのスペシャリスト。レストモッドはレストアとモディファイから生まれた造語で、古いクルマの修復(レストア)と、クルマのチューンナップや現代的な技術への部分的な置き換え(モディファイ)の両方を同時に行う作業と考えていただければいい。
シンガーのレストモッド・プログラムで特徴的なのは、ポルシェ911のなかでも1989年から1994年までに生産された“タイプ964”のみを取り扱っていることが一点。そしてその作業料金が極めて高額(1億円を越えるのは“ざら”)であるにも関わらず、これまでに500台以上のレストモッド車両を納品。その市場も北米を中心にヨーロッパ、オーストラリア、UAEなど、世界30ヵ国以上に上るということがもう一点。

シンガーのレストモッド作業がこれほど高価な理由は、実車を目の当たりにすればたちどころにして理解できる。
まずはエンジンルームの眺めに圧倒されるはず。

多くのファンから親しみを込めて「wrong end(「間違った終わり方」から転じて、後車軸後方にエンジンを積んだ「リアエンジン」のレイアウトを指す言葉。スポーツカーの基本レイアウトとして、リアエンジンは重量配分の点でミドシップよりも不利であることを意味している)」と呼ばれるキャビン後方のエンジンフードを開くと、そこにはお馴染みの水平対向6気筒エンジンが搭載されているのだが、ここで目につくのはカーボンコンポジット製パーツや黄金色に輝く美しい金属製パーツが大半で、見慣れた911のエンジンルームとはかけ離れている。空冷ポルシェになくてはならない冷却ファンにしても質感が大幅に向上しているうえにカーボンコンポジット製のカバーに覆われているといった具合で、いかにもコストが掛かっているように見える。
ただし、シンガーがいかにも高価そうなパーツを用いているのは、彼らの金満志向の表れではなく、美術への造詣が深い創業者ディクソンの「美の探求」がもたらしたものといえる。ちなみにクラシック・ターボ・サービスの場合、スタイリングは911と同じように見えるものの、実際のボディーパネルはドアを除いてすべてカーボンコンポジットで作り直されている(ドアがスティール製のままとされたのは安全規制が理由)。これもディクソンの「美しさ」へのこだわりを示すものだ。

最新のボッシュ製エンジン・マネージメント・システム
しかも、シンガーが作ったレストモッド車両は、ただ美しさだけで評価されているわけではない。
クラシック・ターボの場合、フラット6エンジンの排気量をオリジナルの3.6リッターから3.8リッターまで拡大したうえで、最新のバリアブル・ジオメトリー・ターボ(VGT)を2基装着。VGTは、エンジン回転数などに応じてタービンに向かう排気ガスの向きを制御することで、過給する効率を高めたターボチャージャーのことを指す。これは現行型“タイプ992”の911ターボSに搭載されているのと同じコンポーネントだそうだが、それをおよそ40年前に製作されたフラット6エンジンに搭載する都合で、エンジンを制御するマネージメント・システムも現代的な技術で作られたボッシュ製に置き換えられているという。
驚くべきは、このエンジン・マネージメント・システムの設定にサプライヤーであるボッシュも関与している点にある。相手が自動車メーカーであれば、これはある意味で当たり前のことだが、規模が大きいとはいえ「一介のレストモッド・ショップ」のためにボッシュ自らが動くことは異例中の異例。これもまた、シンガーの実績と技術力をボッシュが認めた結果といえる。

こうして作り上げられたレストモッド車両のことを、シンガーは「ポルシェ911リイマジンド・バイ・シンガー」と呼んでいる。決して「シンガー911」などとは名乗らず、「シンガーによって再解釈されたポルシェ911」と表現するあたり、ポルシェをリスペクトするシンガーの気持ちが溢れ出ているように思える。