バロック美術の広がりと日本
弟子をもたなかったカラヴァッジョでしたが、1600年から約10年間、ローマに出てカラヴァッジョの作品から技法を学んだ「カラヴァッジェスキ」と呼ばれる画家たちがいました。イタリア人のオラツィオ・ジェンティレスキ、アルテミジア・ジェンティレスキ、オラツィオ・ボルジャンニ、バルトロメオ・マンフレーディ、スペイン人のリベラ、フランス人のラ・トゥール、オランダのユトレヒト派の画家たちなどです。彼らがいなければ、ルーベンス、ベラスケス、レンブラント、フェルメールも生まれなかったと言われるほど、カラヴァッジェスキによってカラヴァッジョ様式は広まりました。

カラヴァッジェスキの一例としてアルテミジア・ジェンティレスキの《ホロフェルネスの首を斬るユディト》(1611-12年)を上げましょう。アルテミジアはオラツィオの娘で美術史上初の女性画家となりました。旧約聖書にある未亡人のユディトが、侍女とともに敵の陣営に乗り込み、敵将ホロフェルネスを誘惑して酔いつぶれた隙に首を剣で切断するという物語です。カラヴァッジョの同主題の絵の影響が色濃く見えます。

日本へバロック美術はどう伝わったのでしょうか?
16世紀半ばからのカトリック改革期、ローマの動向が日本の文化を刺激し、日本の美術に西洋絵画の技法や様式がもたらされました。しかし、これまでの美術を打ち破ってカラヴァッジョがバロック様式を確立した時期、日本では豊臣秀吉が1587年に伴天連追放令を発布、また、1612年に徳川幕府がキリスト教禁教令を発令してキリスト教を厳しく禁じたため、真の意味でのバロック美術は伝わりませんでした。
バロック的美術様式が日本に伝わるのは19世紀まで待たなくてはなりませんでした。
幕末の1862年から67年、オランダに留学した洋学者、内田正雄はカラヴァッジェスキの油彩画8点を持ち帰りました。これらは西洋画の教材となり、多くの画家が明暗表現の影響を受けます。山本芳翠、小山正太郎、渡辺文三郎、日高文子などが暗い室内に蝋燭や行灯の灯る夜景室内画を描いたことから、彼らを日本のカラヴァッジェスキと言ってもよいでしょう。
やがて外光派に至る日本の近代美術は、こうした光と闇の世界を脱していきましたが、カラヴァッジョは時を超え、遠く離れた日本にまで影響を与えた偉大な画家だったのでした。
参考文献:
『西洋絵画の巨匠11 カラヴァッジョ』宮下規久朗/著 小学館
『もっと知りたい カラヴァッジョ 生涯と作品』宮下規久朗/著 東京美術
『カラヴァッジョ巡礼』宮下規久朗/著 新潮社
『カラヴァッジョへの旅——天才画家の光と闇』宮下規久朗/著 角川選書
『1時間でわかるカラヴァッジョ』宮下規久朗/著 宝島社
『カラヴァッジョ』ティモシー・ウィルソン=スミス/著 宮下規久朗/訳 西村書店
『カラヴァッジョ』ジョルジョ・ポンサンティ/著 野村幸弘/訳 東京書籍
『芸術新潮』2001年10月号 新潮社
『日伊国交樹立150周年記念 カラヴァッジョ展』(カタログ)国立西洋美術館・NHK・NHKプロモーション・読売新聞社/発行