敏感な五感が紡ぎ出す谷崎文学の美しさ

『文章読本』にも書かれていることですが、谷崎は漢字で書く部分とひらがなで書く部分、行間をきちんと見ながら、どれくらいの文章の長さで書けば美しく見えるかということを計算して、文章の虜となるぐらいの書き方をしました。

 文章自体もですが、漢字ひらがなカタカナの使い方、ふりがなの振り方といった細部にまでこだわり、視覚的な美しさを追求していきました。

 また谷崎は、視覚だけでなく音に対しても敏感でした。『細雪』の中に妹のお見合いに行く支度をしている姉妹の博多帯についての会話があります。

 博多帯は芝居見物やお茶会に行くときには結んではいけない。なぜかというと、博多帯は、動くと「キュウ、キュウ」と音が鳴るからです。

 ほかにもお吸い物を開けるときのきゅんといった音や、食べ物が煮えた音を松風にたとえたりなど、谷崎の文章を音読するとわかりますが、音が聞こえてくるような表現を感じるところが散りばめられていることに気がつきます。

『痴人の愛』など妖艶な小説も有名ですが、その文章を読んでみると本当に生々しい、まとわりついてくるような表現に驚きます。ああいう文章が書けるというのはやはり舌の感覚、味の感覚が鋭かったからなのだなぁと思います。

 谷崎が書いた食べ物の文章を読むと、唾液が湧いてくるほどです。谷崎は、感受性が強く、それを表現する能力を持っていたと言えばそれまでですが、谷崎の表現力を支えたのは、独特の「哲学」だったのではないかと思います。それは、友人で哲学者の和辻哲郎の影響でしょう。

 和辻と谷崎は一高時代には共に文芸部員で、帝大では第2次『新思潮』を一緒に創刊した友人です。谷崎より3歳年下でしたが和辻の『古寺巡礼』の世界、『風土』に書かれる環境と人間との関係など、西田幾多郎の弟子だった和辻ならではのユニークな思想、哲学などが谷崎の感覚をさらに昇華させたのではないかと思うのです。